ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

1度目の乳がん 入院まで。

16年前の1度目の乳がんから、2度目の乳がんの時系列にしてみる。

まず1度目。

 

2001年

8月末

左乳房内側上部にしこりを発見。

スポーツクラブでシャワーを浴びた後、下着を着けるときに初めて気が付く。

当時、卵巣脳腫の治療に通っていた総合病院に、しこりがあることを告げると、

外科に回され、その日いきなり針生検、その後CTなど撮影。

 

9月11日

検査結果を聞きに行くと、乳がんだと告げられる。

驚きのあまり、ふわふわした気持ちで車を運転して帰ったのを覚えている。

夜、テレビで、アメリカ同時テロを知る。

 

ここからが怒涛。

とにかく大きく切りたくない。乳房全摘出は絶対に避けたい。

色々調べてみると、乳房温存療法というのがあるらしい。

しかし、それも2種類あるのだ。

ランペクトミーとクワドラペクトミー。

 

ランペクトミーは、しこりをその周辺の脂肪などだけをくりぬく方法。

クワドラペクトミーは、扇状に皮膚まで切り取る方法。

 

私が希望したのは、ランペクトミー。

医師にその方法でできるか聞くと、

この病院では、クワドラペクトミーを採用するという。

 

色々調べてみて、ランペクトミーを推進している先生を見つけた。

慶応病院の近藤誠医師である。

乳房温存療法を日本で最初に取り入れ、

イデアフォーなどの患者会とも連携し、温存療法を推進してきた先生だ。

「患者よがんと闘うな」で世間を騒がせてもいたが。

 

セカンドオピニオンを聞きに行きたいと、医師に切り出すと、

快諾してくれた。で、どこの病院に?

慶応病院の…  いいですよ。

慶応病院の近藤誠先生の話を聞きたい… 

と言ったとたん、医師が声を荒げて怒り出した。

 

君はね、近藤のところに行ったらここには戻ってこないよ。

口当たりのいいこと言われて、近藤のところで治療するんだよ。

でも君はね! 絶対10年後生きてないから!

 

とはいえ翌週の水曜日、近藤外来に予約できた。

朝8時に受付をして、紹介状を渡す。

簡単な問診を放射線科の若い先生から受け、

11時ごろ、タクシーで青学近くのA医院で胸部エコーを撮影し、

その結果を持って慶応に戻ってくるように言われる。

 

A医院は、慶応の医学部時代の近藤医師の仲間のようで、

慶応内でエコーをかけると、予約を入れて実施まで数週間かかるので、

当日すぐ実施できるA医院に協力を得ていた。

 

戻ってきてもまだまだ私の順番にはならない。

やっと呼ばれたときは15時を回っていた。

 

先生、私、本当に乳がんですか?

 

うん。本当に乳がんだよ。

で、どうしたいの?

治療をしないって人もいるよ。いま僕のところに来ている女医さんが何人かいるけど、

その人たちは手術を選択しないで、僕が経過観察しているんだよ。

 

私は経過観察はできません。

 

手術するなら、僕の友人がいる病院に行ってやってもらう。

慶応では入院、手術できないから。

 

少し考えさせてください、と言って診察室を出た。

30分ほど考えて、近藤先生のところで治療することに決めた。

 

9月17日

近藤先生の紹介状を持ち、A先生のもとに行く。

鎌倉近くの病院は、当時の住まいからゆうに約2時間はかかる。

着いたらこれがまたすごい人。その人数に圧倒される。

 

結局ここでも診察を受けたのは夕方。

そうか自分でしこりを見つけたのか。えらいぞ。

結婚してない、子供もいない。仕事もいまはしていないと。

じゃあ空いてるとこに手術入れちゃうからね。

 

とA先生はどんどん話を進めていく。

よしじゃあ9月30日に入院して。翌日手術ね。

 

いやです。

なんで?

。。。30日は私の誕生日なのでいやです。

いくつ?いくつになるの?

35歳です。

馬鹿言ってんじゃないよ、だめ、入院して。

入院したら俺が抱いてやるからさ!

 

と、最初からこんな調子でいつも軽口をして、楽しい先生。

ちゃんと話を聞いてくれるし、決断も早い。

 

で、結局30日、35歳の誕生日当日に入院した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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