妹が逝ってしまってから丸2年経つ。
早い。
妹も乳がんで亡くなった。診断からほぼ半年で逝ってしまった。
ある時点から、雪崩に巻き込まれたように何もできず、押し流された。
抗っても抗っても太刀打ちできない時間を過ごした。
いつかこのブログに妹のことを書く。
今日は彼女が私に残してくれた思い出を書く。
不二家からの戦利品。
朝から母がせわしない。
支度を済ませると、今日は銀座のほうにあるカサイにみんなで行くと言う。
銀座のほうのカサイはどんなところだか私は知らない。
いつもならどこへ行くにもベビーカーに妹を乗せていくのに、
今日に限って母は妹を背負い紐を使っておぶっている。
空はどんよりと重く曇っていて、銀座に行くという華やぎに欠ける天気だ。
母に手を引かれ、都バスや地下鉄を乗り継いで着いた銀座のカサイとは、家庭裁判所のことだった。
私はようやく事の次第を飲み込んだ。
妹をベビーカーではなく、背負い紐でおぶってきた理由も察しがついた。
長い長い廊下の片側にはいくつもに仕切られた部屋と、その反対側の窓からは公園の木々が見える。
母は名前を呼ばれ、部屋に入るように促されたが、私は中に入ることを許されず、
廊下で静かにして待っているように言われた。
ここは大人しかいない世界で、子供は異質ないきものだ。居心地が悪い。
ママ心配しなくて大丈夫だよ。とてもここで走り回ったり、歌ったりする気分にはなれない。
廊下に用意された長椅子に座り、足をブラブラさせたり、靴を脱いで椅子の上に立ち、
窓から公園の木々を眺めたりした。空の色もこの廊下も長椅子もすべてグレーだ。
いつまで待たされるのかと思っていたけれど、意外にも早く母は部屋から出てきた。
ドアが開いたとき、部屋の中を一瞬見ることができた。久しぶりに父の顔を見た。
帰りは大好きな不二家レストランに連れて行ってくれた。
私はホットケーキとペコちゃんサンデー、母はクリームソーダを頼んだ。
私は小さく切り分けたホットケーキや、アイスクリームを妹の口に運ぶ。
甘いものはわだかまった心の留飲を下げるのに有効である。
もうすぐ家に着くころ、母の背中にいる妹を見て驚いた。
妹は不二家のナイフの握っていたのだ。
にこにこと、してやったりと、私だってナイフ、使えるのよとでも言いたげに。
あれから私の家にはずっと不二家レストランのナイフがあった。
ナイフを見るといつもあの日の思い出が甦り、みんなで笑いあった。
妹が失敬してきたナイフのおかげで、
私の、重苦しいグレーな一日の記憶を、ファニーな楽しい記憶に変えてくれたのだ。
妹が逝って、今日で丸2年になる。