ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

2度目の乳がん② 入院まで

入院するまでの生活

 

診断から手術までは、実はかなり早く設定できる。

6月末か7月頭でやろう、と提案されるが、

大学が夏休みに入ってからのほうが都合が良かったため、7月18日とした。

 

1か月以上先だから、仕事のこと、大学のこと、家族のことなど、

気にかかることを少しずつ片付けていきたかった。

 

指導教授には正直に話した。手術後の抗がん剤もあるため、

秋学期からどうするかは未定だと伝えた。

 

仕事は、ちょうど取り掛かっているものが7月半ばまでかかる。

入院ギリギリだがなんとかなりそう。

これもクライアントに病気のことを正直に伝えたが、受け入れてもらえた。

 

それ以外では、

サイキックに会ったり(今回のがんも、人生のプラン通りだと言われた)、

友達に会ったり(とてもヘルプフルにしてくれるか、引くかどちらか)、

 

入院前に妹の散骨をするためにハワイに行く前日に胸部痛で倒れて、

ハワイ行きを中止することなったり(おまけに飛行機代の払い戻しが不可)、

運がおかしい方向に向かっているときというのは、何をやってもダメなのだ。

 

人生に絶望したまま

 

でも結果として、ハワイに行かなくて、良かったのだった。

行っていたら、私は生きて帰ってこなかったと思う。

人生に絶望していたから。

 

修士課程を経て、そのまま博士課程に進学し、

この勢いでここから仕事にも、新機軸を立てていこうと思っていた矢先だった。

単なるライターとしてでなく、千祥という、ひとりの著述家として、

あらためて立っていく、キャリアをここで一新してやっていく、

そんな気持ちで頑張るつもりだったのだ。

 

一緒に仕事をやっていこうと思い、頼っていた人も去っていった。

(私ががんになろうがなるまいが、去ろうとしていた)

 

そういう私の思いや計画、全てが立ち止まった。

また元気になればやれる、と言われるけれど、

私はもう50歳だ。時間は無限でない。

なのにここで、半年以上、治療に時間を費やすのだ。

 

前回、2001年に左乳がんになったときはまだ30代。

不安もあったし苦しかったことは、今回と変わらない。

しかし、若いというのはすごいことで、

10月1日に手術、抗がん剤3回、放射線治療を経て、

翌年1月頭から、新しい職場にいたのだ。

 

そういう、希望や、それを叶える運や、出会い、

それを乗りこなす体力と精神力が、いまの私にはないように思えた。

 

明るく立ち向かっていこうと思う反面、私は人生に絶望したまま、

7月17日に入院した。

 

 

 

 

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