去年博士課程に進学し、谷崎潤一郎を研究中。
昨年、アラフィフ真っ只中の年齢にして、大学院博士課程へ進学した。日本文学専攻で谷崎潤一郎を研究している。谷崎は古典と親しく、作品の多くに歌舞伎や文楽などをモチーフとしていることはよく知られているが、どの作品のどの部分にどれくらい用いているかなどを調査する、谷崎作品の原典研究という研究をしている。
歌舞伎好きであることが研究に生かされるとは予想していなかったし、第一、谷崎潤一郎を研究していくことになるとは夢にも思っていなかった。偶然が重なってこうなった。自分の愛するもの2つのもの、谷崎と歌舞伎をコネクトさせ、研究テーマとして発見したことが、私の幸運である。
が、いきなりがんになって
現在D2。しかし、ご存じの通り昨年6月にまた乳がんになってしまい、かろうじて休学せずに現在に至る状態で、研究ははかどっていない。仕事もしていないから収入もないし、必死になって今年の学費を捻出した。なんなんだよまったく。
このことはまた別稿で書きたい。
『摂州合邦辻』と『春琴抄』--- 関西文化の豊かさの血脈
というように、進学して足踏み状態なのだけれど、拙稿「『春琴抄』典拠再考ーーー『摂州合邦辻』から『春琴抄』への生成を主にーーー」が、法政大学大学院2018年3月発行の「大学院紀要80号」に掲載された。修士論文をコンパクトにしたものだ。
どのような内容か短く言うと、『春琴抄』は『摂州』を典拠としており、舞台となった大阪・道修町にモデルとした家があったこと。関西に居を移し、松子夫人というミューズを得て、関西で作家として生きていくということを宣言する作品であることを検証した、というものである。
道修町にモデルしたお家があったことを証明するのが『摂州』なのだけれど、谷崎のエッセイ「所謂痴呆の芸術について」で、あれだけ酷評した『摂州』をどのように『春琴抄』に昇華させたのか、その思惑を推測するオモシロ(いやトンデモかも)論文。
しかし、谷崎が『春琴抄』以前の作品より深く、関西文化へ足を踏み入れていく、その中で生きていくことを決心した作品であることは間違いないと思う。
拙稿のお話しをさせていただき、谷崎を、大阪、道修町の豊かな文化をもっと知ってもらいたい、というのが私のいまの夢のひとつ。もし大阪・道修町の街おこしに使っていただければ嬉しい。
抜き刷があります。
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