ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

「死んだら負け」を考えるーーー私は溺れている人に浮き輪を投げてあげたいんだ。

 

facebookでフォローしている一般社団法人メメント・モリ協会の投稿を見た。

 

 

一緒にシェアされていた、せやろがいおじさんの動画。面白い。

 

www.youtube.com

 

「溺れかけている人にがんばれ!ではなく、例えば浮き輪をなげる」。

 

この浮き輪は、一緒にご飯食べるでも、話しをただ黙って聞くとか、私はここにいるよ、ってメッセージでいいと思う。でもそれは最初の段階の浮き輪。

 

大切なのは、そのあとどうするか、なのだ。溺れている人の状況、思考により、有効な浮き輪も少し違ってくる。ここにいるよ、っていうことだけでなく、本当はもう一歩か二歩、前に歩み寄っていかないと助けられないことも多い。

 

それは、妹の亡くなるまでの経過を想い出すたび、いつも思うことなのだ。妹の困難をわかっていたし、なんとかしてあげたいと思ってはいたけれど、もう一歩前に進まなかった。まだ大丈夫だろう、と私は判断したのだった。

 

経済的に追い詰められいた妹は、以前勤めていた会社の上司に電話した。あいにく出ることができず、留守電が残っていたそうだ。

 

ご無沙汰しています。突然ごめんなさい。私は乳がんになり、治療費がとてもかかっています。治療費だけでも自分で稼がないといけないので、なにかお仕事はないですか?お仕事をさせてください。

 

メッセージの声は泣いていたそうだ。突然のことで意味がわからず、そのあと妹からかかってくることもなかったので、そのままにしてしまった。と、通夜の席で聞いた。

 

浮き輪は、その人の置かれた状況によって異なる。私は仕事がしたかった。病んでいる私にできることは少ないけど、そのときの私にできることなら何でもしたかった。忙しいから手伝ってよと言われたなら、コピー取りでも電話番だってよかった。1円も稼げない自分を恥じていた。それが間違った信念であったにせよ。

 

いま突然、ワイン会を始めたり、下町ツアーを開催したりしているのは、私の求めている浮き輪は、自分で作ることにしたのだ。この唐突さ加減!でも、これしか、今の自分の力で出来ることが思い浮かばなかった。私は自分で自分に浮き輪を投げたのだ。そしてそれくらいには、元気になった。

 

でもあのときは本当に浮き輪が欲しかった。浮き輪をください!と叫んでいた。

 

みんな欲する浮き輪が違うし、投げ入れらるタイミングもある。妹の留守電の話しは切なくて、悔しい。でも私は絶対に忘れないのだ。適切な浮き輪を、もっといいタイミングで、投げ入れてあげることができなかったことを、悔やんで生きていくのだ。一歩前に歩み寄る勇気を忘れないために。

 

 

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