facebookでフォローしている一般社団法人メメント・モリ協会の投稿を見た。
一緒にシェアされていた、せやろがいおじさんの動画。面白い。
「溺れかけている人にがんばれ!ではなく、例えば浮き輪をなげる」。
この浮き輪は、一緒にご飯食べるでも、話しをただ黙って聞くとか、私はここにいるよ、ってメッセージでいいと思う。でもそれは最初の段階の浮き輪。
大切なのは、そのあとどうするか、なのだ。溺れている人の状況、思考により、有効な浮き輪も少し違ってくる。ここにいるよ、っていうことだけでなく、本当はもう一歩か二歩、前に歩み寄っていかないと助けられないことも多い。
それは、妹の亡くなるまでの経過を想い出すたび、いつも思うことなのだ。妹の困難をわかっていたし、なんとかしてあげたいと思ってはいたけれど、もう一歩前に進まなかった。まだ大丈夫だろう、と私は判断したのだった。
経済的に追い詰められいた妹は、以前勤めていた会社の上司に電話した。あいにく出ることができず、留守電が残っていたそうだ。
ご無沙汰しています。突然ごめんなさい。私は乳がんになり、治療費がとてもかかっています。治療費だけでも自分で稼がないといけないので、なにかお仕事はないですか?お仕事をさせてください。
メッセージの声は泣いていたそうだ。突然のことで意味がわからず、そのあと妹からかかってくることもなかったので、そのままにしてしまった。と、通夜の席で聞いた。
浮き輪は、その人の置かれた状況によって異なる。私は仕事がしたかった。病んでいる私にできることは少ないけど、そのときの私にできることなら何でもしたかった。忙しいから手伝ってよと言われたなら、コピー取りでも電話番だってよかった。1円も稼げない自分を恥じていた。それが間違った信念であったにせよ。
いま突然、ワイン会を始めたり、下町ツアーを開催したりしているのは、私の求めている浮き輪は、自分で作ることにしたのだ。この唐突さ加減!でも、これしか、今の自分の力で出来ることが思い浮かばなかった。私は自分で自分に浮き輪を投げたのだ。そしてそれくらいには、元気になった。
でもあのときは本当に浮き輪が欲しかった。浮き輪をください!と叫んでいた。
みんな欲する浮き輪が違うし、投げ入れらるタイミングもある。妹の留守電の話しは切なくて、悔しい。でも私は絶対に忘れないのだ。適切な浮き輪を、もっといいタイミングで、投げ入れてあげることができなかったことを、悔やんで生きていくのだ。一歩前に歩み寄る勇気を忘れないために。