ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

あの子は可哀そうな子

母の妹への愛情は、揺るぎない、特別なものだった。目に入れても、とよく形容するけれど、母は妹を目に入れても、そして母パンダが子パンダを嘗め回すように可愛がった。可愛がって甘やかして育てた。朝は母と一緒に起きるから幼稚園はいつも遅刻。食事はほとんどせずお菓子だけを食べても叱らない。自由気ままに生活させていたから、小学校に進学して困った。朝は学校に間に合うように起きられないし、給食は食べられない。夜は母がいないから夜更かしをして宿題もしない。それでも母は、かおちゃんだからしょうがないの。かおちゃんは可哀そうな子だから仕方ないの。と言ってかばった。

 

かおちゃんは可哀そうな子なの。だから私が守らなければ。なにかというと母はこう言って妹を溺愛した。私は?と聞くと、あんたは大丈夫。と言う。なぜ妹が可哀そうで私は大丈夫なのか、私にも妹にもその意味がわからなかった。私はただ、明らかに私と妹への愛情が異なることを子供心に不満に思っていた。

 

妹は努力することができない子になった。些細なことで躓き、根気よく物事にあたることができない。大人になってもそれは変わらなかった。努力しなければいけないことはわかっている。でもできないの。親、育ち、環境、経済力、生まれたときから恵まれている人がいる。私も最初からそういう所に生まれたかった。努力して獲得しなきゃいけないのは嫌なの。と言っていた。妹にとって、生きることはどこか、むなしいことなのだった。

 

可哀そうな子。母の真意がわかったのは、私が40歳も過ぎてからだ。いい年をした私にむかってまだ、かおちゃんは可哀そうな子なの。あんたとは違うの。と母は言う。ずっと思ってたんだけどさあ。その、可哀そうってなに?同じように育った私は大丈夫で、かおちゃんは可哀そうってなにが?と聞いた。かおちゃんはお父さんを知らない。あんたは知っている。だからかおちゃんは可哀そうなの。あの子は不憫な子なの。と母は答えた。私はあきれていた。いったい全体いつのはなしよ?もう何年経っていると思っているの?

 

それでも母の、かおちゃんは可哀そうな子という信念は揺らぐことはなかった。妹が結婚し子供を産んでも変わらなかった。私がいてあげなきゃだめなの。なんとかしてあげなきゃ。事業が失敗しなければ、二世帯住宅を建てて一緒に住みたかった。それがかなわないなら、せめて近くに住みたいの。かおちゃんには私がいなきゃだめなの。母のその気持ちを逆手にとって、妹はちゃっかり、ベビーシッター代わりに母をこき使い、子供の面倒を見させた。私はそれを白々しく思いながら見ていた。母の認知症が進み、施設に入所することでその生活は終わった。

 

妹が余命の告知を受けたのち、入院中の妹を母が見舞った。なんども妹の状態を話しておいたのに、理解することができない。子供残して死んだらだめよと、とんちんかんな言葉をかけて、妹の逆鱗に触れる始末だ。病室を出て、長い廊下を歩いているとき、突然母が私に聞いた。ねえ。かおちゃん死んだら、誰が私の面倒を見てくれるの?。私は返す言葉がなかった。可哀そうな子、私がいなきゃダメな子と言っていた妹が身罷ろうとしているとき、自分の身の心配をするのか。とクラクラした。

 

私は思う。妹が可哀そうなのではない。母が本当に可哀そうと思っていたのは母自身なのだった。ひとりで病院に入院し、ひとりで妹を生んだのだ。心細かったのだろう。寂しかったのだろう。悔しかったのだろう。様々な思いがこみ上げたんだろう。そのとき生まれた小さな赤ん坊を見て、可哀そうと思った。そう定義した。母の揺らぎないこの子は可哀そうな子という信念はここに成立した。しかしそれは妹に転移させただけなのだ。断じて妹が可哀そうなのではない。母が本当に可哀そうと思っていたのは、母自身のことなのだ。そしてずっとずっと自分の人生の不遇を、辛さを、妹に転移させてきたのだ。母の信念は間違っているのだ。

 

子供に対して、なんらかの負い目を感じている人って結構いるのだ。たとえば、共働きで子供に寂しい思いをさせたことを負い目に感じて居たり。幼少時身体が弱く、成長しても心配ばかりしていたり。可哀そうな子、寂しい思いをさせた子、身体が弱くて心配な子、それは全部親の思い込み、間違った信念だ。呪いの呪文と同じだ。人間は変わるし、成長する。なのにいつまでも自分が最初に下した子供への定義に留まるのは、子供を信じていないのと同じだ。私は子供を産まなかったから、子ゆえの闇が私にはないから、こんなことが言えるのかもしれないが。

 

可哀そうな子と定義づけられていた妹は死んでしまった。しかし母の妹への愛情は変わらなかった。私に用があるのはお金のことだけであって、会いたいとも寂しいとも言われない。信念は揺らがないのだった。

 

でも断じて、妹は可哀そうな子だったのではない。亡くなる前に妹が感じていた世界は、素晴らしいものだったから。人生の辻褄はきちんと合うようになっているんだと私に教えてくれたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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