ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

TWILLO 神条昭太郎さんの白い屋台に出会った日。

1年前の朝、我がマンション前に白い屋台がぽつんと置かれたままになっていたのを見つけた。それが屋台バー TWILLOの神条昭太郎さんとの出会いだった。その日のことをFacebookに書いている。

 

 

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 FBに書いてあるように、私はこの日、抗がん剤を投与した日の夜だったのでフラフラ。雨も降る寒い夜だったが、それでも白い屋台の正体が知りたくて、頑張って起きて待っていた。ベランダから見ると、誰か来て屋台の位置を少し移動させているのがわかった。そのときすでに23時半。コートの下にダウンを着こみ、慌てて屋台へと向かった。

 

起きて待っていた価値があった。そう思えるほど、神条さんとの出会いは衝撃であった。私は彼のこの屋台、そしてその雰囲気がとても気に入り、我が家周辺に出没している時には、何度も足を運んだ。彼の屋台を始めて訪れる人は、この屋台を始めようと思ったいきさつや、彼の来歴を必ず聞く。神条さんはその度に、何度も彼の物語を語っていた。私も足を運ぶ度に耳にした。

 

私は彼の物語を聞くのが好きだ。大学時代のこと、銀行に就職してからのこと、国会議員の秘書になってからのこと、この屋台、TWILLOを始めたときのことを、静かにとつとつと、ていねいに話してくれる。そしてなんといってもTWILLOを始めるとき、彼が心に決めた3つの条件がいい。自分の世界観を表現できること、自由度が高いこと、食べていけること。彼が心に決めた3つの条件から導き出されたものが、まるでおとぎ話のように闇夜にひっそりと、毎日都内のどこかで開店しているこの白い屋台 TWILLOなのだから、うっとりしてしまう。

 

考えさせられることがたくさんあった。闘病中だったとはいえ、私はなぜ人生に苛立っているのか、それは自分の世界観を表現したいのにしていないこと、自由度が高い状態を作っていないこと、そして食えていないこと!神条さんが挙げた3つの条件に、私の心が求めていることの大体全部(笑)があったのだ。だから、紆余曲折あったけれど、私はあらゆる方法で自分をもっと表現したいし、自由でいたい。自由になりたいのだと思った。

 

つい先日、以前の職場の上司と、思い出話をすることがあった。ファッションページのの思い出話だ。撮影が近づいてくると、担当の私のもとに、スタイリストさんから一日の間に無数の電話がかかってくる。それはもうひっきりなしにだ。あのページでモデルに着せるxxxはどうする?靴は?あのブランドに貸し出しに行ったらこんなことを言われたけどどうする?私がジャッジしてあげられるものならいいのだが、たいてい私の判断で進めていいかどうかわからないことが多かった。電話の回数が多いため、その度に仕事の手をとめねばならないこと、そして私が決められないことを一日に何度も何度も聞かれるのが苦痛でたまらず、時には電話に出ないこともあった、という話をしたら、元上司は驚いていた。

 

その話しをした後、もう一度あの時の自分の苦痛について思いを巡らせてみた。ジャッジできないことを聞かれるのが苦痛だった、と思っていたが、時間が経ったいま、もっと深く自分の気持ちを探ってみると、苦痛の本当の原因は、電話がかかってくるたびに私がジャッジできない立場、キーマンではないことを思い知らされること、それが苦痛だったのだ。私自身がそのことに心をがんじがらめに縛られていた。

 

本当は、上司を含め一緒に仕事をしている人達に対し、私はもっとこんなこともしたいし、できると思う。だから私に少しでいいので任せてもらえる範囲を作ってもらえませんか?と申し出るとか、もっと発展的に私がどうしたいかということを相談すればよかったのだ。それが実現できるかどうかはわからないけれど、意思表示をしなかったから、ただ苦痛だったのだ。自分の世界観とか、自由度の実現は決して大仰に、全てがガラッと一変するようなものではなくて、自分の働き方の中で少しずつ実現できることもあったのじゃないか?といまは思える。あの職場にずっといて、そこでキャリアを全うできたらいいな、と思っていたのだから、自分の希望や気持ちを伝えるべきだったのだと、話していて気がついた。もっと自分を、周囲を信頼するべきだったのだ。

 

またがんになって、自分の世界がまっさらになったから、わかったことなのだと思うけど。

 

神条さんだって、自由を実現しているけれど、それは自分を律した上での自由だ。TWILLOは定休日がない。基本的に365日オープンだ。屋台を引っ張って、毎日場所も変える。極寒の日でも深夜から朝まで営業する。提供するラムやカルヴァドスの価格は、客が決めるシステムのため、売上の予測もできない。自分と対話し、自分に恃むしかない日々。そういう地道な努力があってはじめて手にしている自分の世界と自由だ。

 

抗がん剤でフラフラになりながら、白い屋台の止まり木でバカラのグラスから25年物のラムをなめ、極寒の夜風に吹かれている自分は相当にオカシイ。それでも惹きつけられてしまうのは、TWILLOという空間では誰も私をジャッジせず、その時、居合わせた人達と共有していることに安らぎがあったから。お互いがただそこに在るという感覚がなんとも心地よいのだ。その空間を成立させている理由は、神条さんという「司祭」がいるおかげだ。神条さん自身が自分に寛いでいる。そこから醸し出される緩やかさが絶妙で、居合わせた客も寛ぐことができる。そして寛ぎの雰囲気の中にある、自分に恃んで生きる神条さんの刹那にも、みな惹きつけられてしまうのだ。強烈なファンが多いのも、そんなところが理由だと思う。お互いに奪い合わず、ただ自由に、そこに在る。そういうクレバーさや強さは美しいし、神条さんのように自分に寛いでいる人にはかなわない。

 

私の著述業という職業は、自宅でひとり、パソコンさえあればできる。でも実際は、私という人間を信頼して、これ書いて、と言ってくれる人がいないと成立しない商売だ。だからこそ、自分を恃みつつ、自分に寛ぎつつ、協力しあって仕事できたらいいなと思う。ひとりでできることは有限だし、仲間と一緒にする仕事の、広がっていく楽しさが私は好きだ。神条さんの白い屋台TWILLOだって、神条さんという司祭というか、ハブがあって、そこに集まるゲストがいて初めて成立する。人と人が思わぬ有機的な結びつきを見せるとき、拡大していくときの楽しさ。そういうものに惹かれる自分がいる。

 

……私って寂しがり屋www

 

神条さんはいま体調を崩されて入院中。でももう退院のメドはついているようだ。早くまたあの白い屋台で葉巻を吸っている彼に会えるといいな。

 

 

 

 

 

朝、これを見たときは本当にたまげた。

 

デキャンタされているのはカルヴァドス。このほか25年もののラムしか置いていない。

照明はキャンドルのみ。割れたバカラのグラスがキャンドルホルダー代わり。小さな炎がグラスに屈折してほのかな光に。

突然ホームセンターの前に白い屋台出現したら驚くよなー。

 

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