ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

たぶんあれは、虫の知らせ

虫の知らせ。

何年も帰省してこなかった息子が突然帰ってきて、家族団らんのひとときを過ごし、一か月後に急逝してしまうなど、人には死を予知する能力ーーー虫の知らせがあるのだ、という記事を読んだ。それとは少し違うのかもしれないが、妹にも少々思い当たることがあったので、書いてみようと思う。

gendai.ismedia.jp

 

サーティンワン事件の顛末。

どの家にも、いつまでも語り草になるような子供時代のエピソードがあるはずだ。我が家にもあって、それはサーティンワン事件とか、オレンジシャーベットぼとっ、とか言われていた。私が小学2年生の頃だったと思う。珍しく母が在宅していたある日の午後。私は徒歩15分ほどのサーティンワンアイスクリームに行こうとしていた。久しぶりに母も家にいることだし、妹の子守りから解放されたかったのだ。ところが母は母で、私たち子供を外に遊びに行かせて、ひとりでのんびりしたかったのだろう。私にどうしも妹を連れていけという。私は絶対にイヤだ、ひとりで行きたいと主張した。しかしどんなに反抗しても聞き入れられず、私はぷんぷんしながら妹と家を出た。

 

妹がついてこれなければいいと、行く道すがらも無言で速足で歩くのだが、妹も負けじと必死で付いてくる。サーティンワンにやっと着き、それでも私の怒りは収まらない。本当ならお店の中のベンチに座って、ひとりでアイスクリームを楽しみたかった。でも妹が邪魔だから、お目当てのアイスクリームを購入したら、すぐさま帰宅することにした。私はナッツトゥユー、妹はオレンジシャーベットをコーンで購入し、さっさと店の外に出て、一目散に家を目指した。

 

店を出てしばらくして振り返ると妹がいない。視線を遠くにやると、サーティンワンの前で妹が立ちすくんでいる。近づいていくと妹の足元に、まだ一口も食べていないオレンジシャーベットが落ちていた。私がものすごい勢いで歩き出したので、急いで追いかけようとして、落としてしまったのだ。妹は無表情に、ただ店の前に立っていた。私の怒りはさらにヒートアップしていった。なんなの。私は一日中あんたの世話させられて気が狂いそうなの。私は本当はひとりで来たかったのに付いてきたあんたが悪いのよ。何やってるのよ。帰るわよ。私を困らせる妹を罰してやりたいという気持ちに支配され、もう一度アイスを買い与えなかった。妹は結局一口もアイスクリームを食べられず、ただ私の後を懸命に追って家に帰ってきた。

 

帰宅後、妹は母に窮状を訴えた。お姉ちゃんはどんどん歩いて行ってちゃった。だからオレンジシャーベットをぼとっとしちゃったんだよ。アイスを食べられなかった。と言って泣いた。なんていじわるなの。あんたはお姉ちゃんでしょ。たった一人の妹なのになんでそんなにいじめるのよ。アイス落したならもう一回買ってあげればいいじゃないの。と母は私を責めた。どんなに責められようとも怒られようとも、私は決して謝らなかった。私のことをなんだと思っているんだよ。私の尊厳、私の自由は蹂躙しておいて、お姉ちゃんなんだからって責任ばっかり押し付けやがって。妹は邪魔くさいし、どうすりゃいいんだよ。私はなんのために生きているんだ。8歳の私の気持ちを要約すると、そんなことを考えていた。

 

いつものように、なぜ責めないの。

結局このオレンジシャーベット事件、または、オレンジシャーベットぼとっ。は、きょうだい喧嘩のたびに思い出されては、私がいかにひどい、冷たい人間かという証左として妹から語られ、私は妹がいかにどんくさい子供だったかの証左として、互いに異なる角度、視線から語られる事件となった。私たち姉妹の間でそれこそ何度も何度も、くり返し語られてきたエピソードだった。

 

妹が乳がんになって迎えた最初の夏だった。花火大会を、我が家のあるマンションで見るために、妹と甥が遊びに来ていた。花火の開始時間までは少しあったから、リビングでテレビを見ていると、なぜか昔の話になって、妹が甥に、オレンジシャーベット事件の話しをし出した。本当にひどいんだよ。ママが小さい時、サーティンワンにアイスを買いに行ったときにね。私はニヤニヤしながら妹の話しを聞いていた。ほーらまた始まった。この後私がいかに冷たい人間か、ヒドイ姉かを滔々と述べるんだから。自分だってとろくさかったくせにさ。

 

ところがである。いつものように私を責める言葉が妹から一向に出てこない。急に黙り込んで、うん…うん…そうだ…うん…と、なにかを確かめるように目を伏せて、ただうなずいている。自分の心の中でなにかと対話するように、心の中に湧いてきた思いを確認するようにただ、うん…うん…とうなずいてばかりいた。そのままオレンジシャーベット事件の話しは終わった。どうしていつものように、私を責めないのよ。罵らないのよ。私は言葉にはしなかったが、このときの妹の様子が気にかかって仕方なかった。

 

ふたりで過ごしたあの夜につながる。

いま思えば。結局このときの妹の、うん…うん…とただうなずいて、自分の心の中でなにかと対話するような、心の中に湧いてきた思いを確認するような様子は、妹が入院して私が初めて泊まり込んだ夜につながるような気がするのだ。妹が急に手をつなごうと言いだして、ふたりで手をつないで病室に眠ったあの晩に。お姉ちゃんは頑張ったよね。と突然私を優しくねぎらう言葉をかけてくれたあの晩に。

 

exgirlfriend.hatenablog.com

 

妹は妹の視点から、私は私の視点からしか見ることができなかった子供の頃のあの出来事。それが、あの花火の夏の日、妹の心の中に突然、子供らしい自由な時間を奪われて怒り狂っていた私の視点、心象が、急に手に取るようにわかったようなのだ。

 

そして、ふたりきりの病室で、つないだ妹の手から私へ、電流のように妹の視点が流れてきた。ああこの人はあんなに私に邪見にされても、私を懸命に追いかけてきてくれたんだ。私のことをずっと信じてくれている人だったんだ。そんな気付きが、私の心にもたらされたのだ。

 

命が、そのときを教える。

妹はあの日、突然、気付きを得ていたんだと思う。それを虫の知らせというかどうかわからないが、妹の命は、妹に終わりが近いことを知らせていたのではないか。そして気付きをもたらしたのではないか。妹自身は気付かずとも、妹の命は、終わりを知っていたのではないだろうか。

 

妹はその気付きを、私にもくれた。それは静かに私を諭した。そして、どんなにか私の心を癒し、慰めたことか。でももうオレンジシャーベット事件のことを話すこともなし、責められることもない。私たちだけが知っているエピソードや、ギャグを話す人がいない。くだらない、取るに足らないことばかりだが、ふたりだけの秘密をシェアできないことがこんなに寂しいとは。一緒に思い出を反芻してくれる人がいることは、人生を温かいものにするのだと、思いしらされている。

 

 

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