ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

もうすぐ死ぬと知っていても

妹の仕事仲間が見舞いに来てくれたときのこと。

 

余命宣告の数日後のこと。妹の仕事仲間のひとりがお見舞いに来てくれた。すでに妹のスマホは私が預かっており、友人たちの連絡は私に委ねられていた。彼女がお見舞いに来る前に、妹の病状が悪いため15分ほどにしてほしいこと、驚かないでほしいことを伝えておいた。

 

彼女はお見舞いに来て、やはり妹が寝たきりになっていることに衝撃を受けていたが、すぐに楽しげに話しをし始めた。私は少し席をはずし、そろそろ時間を、と退出を促した。今度は特に仲の良かった仲間を連れてくるね、と彼女は言い、妹も待ってるからねよろしく、と笑顔だった。

 

ところが彼女が帰ると、妹は目を瞑り、ただただ涙を流していた。どうしたの?頭が痛い?ナースコールしようか?と聞くと首を振る。

 

xxちゃんね、近々独立するんだって。私は、どんどん置いていかれてしまう。悔しい。といってポロポロと涙を流す。私はこのとき、少し驚いていた。

 

頭が痛く高血圧に悩まされたのは、アバスチンの副作用ではなく、がん性髄膜炎だったからで、余命はあと1カ月くらいと伝えられているのに、もう仕事をすることもできないのに、置いていかれてしまう、と言って泣いている妹に、かける言葉はなかった。悔し涙にくれる妹を見て、ただせつなかった。

 

すぐにでも彼女はまた、仕事仲間を連れてお見舞いに来てくれるはずだ。私は彼女に電話をかけ、妹の様子を話した。バカな姉だと思われるでしょうね。でも、次にいらっしゃっるときは、思い出話や噂話など、妹が悔し涙を流すことのない話題をお話ししていただけませんか?と。電話の向こうは困惑していた。一体何を話したらいいのかわかりません。でも仲間にも伝えます。と言ってくれた。

 

次のお見舞いには、同じ番組を制作してきた仲間3人で来てくれた。局アナのMさんまで一緒に。4人で思い出話しに花を咲かせて、妹は上機嫌だった。

 

妹は、まだ死を受け入れたわけではなかった。まだ生きる希望を失ってはいなかったことが、ひしひしと伝わってきた。もうすぐ死ぬと聞かされても、事実、死を意識するような痛みに日々襲われていても、妹には希望があった。しかしそれを打ち砕く現実も同時にあった。妹の心を揺れるがままにしておこう。私が導いたりジャッジするのはやめようと思った。実のところ、ただ側にいて、一緒に揺れていることしかできなかったのだが。

 

続きます。

 

 

 

 

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