スピリチュアル界隈の人の話でよく出てくるのが、人生を愛しましょうとか、周囲の人に感謝していますか?などという言葉である。
私はがんになってから「感謝が足りない」とよく言われた。感謝が足りないからがんになり、人は去り、仕事はないのだと。人間関係や仕事のことはそう言われても致し方ないが、感謝が足りないから病気になるのだと言われたときは凹んだし、怒りが湧いた。
人生を愛しましょうとか、人に感謝しましょうとか、って言われ、私は大いに戸惑った。そもそも愛したいし、感謝したいし、そのために頑張って生きてきたのだ。それでもなんで私はこういう目に遭い続けるのか。まったく謎であった。
さらに、スピ系の、人生を好転させるための考え方(ホ・オポノポノとか、ルイーズ・ミラーの鏡のワークとか)を目にすると、引き寄せている現実はすべて自己責任だと書いてある。いやいやチョ待てよ。こんな現実を引き寄せようと思ってないし! じゃあどうすりゃいいんだよ!と、いじけたり、人をねたんだり、自暴自棄になったりした。
最近になって、最も辛い時期が過ぎたから言えることがある。人生を愛するというのは、愛するという精神の起動するその前提として、そもそも自分の人生を信頼しているのかどうかということが必要なのではないか。
私は将来のことがいつも不安だったし、それを払拭するために努力してきた。しかしいつも何をやっても不安だし、達成感を得ることはあっても、心地よさや幸福感は続かない。不安になってまた右往左往してみて良い結果が出ればいいけど、そうでないことが続くと、今度は疑心暗鬼になったり、自暴自棄になったりしてきた。私にとって人生は恐ろしいことがいつも起こり、私の意志とは無関係に私を拘束し支配下に置こうとするものであった。そんな人生を愛せますか?人間やめますか?みたいな追い込まれる感覚があった。
愛せますか?人間やめますか?って前に、そもそも自分の人生を信頼していないのに、愛せるわけがない、ってことに気が付いた。何が起こっても、どんなに目に遭ったとしても大丈夫だという根拠ない安心感や幸福感。実際にとんでもない目に遭ったとしてもそれを受け流せるか乗り越えられる力がある人とない人との違いは、人生を、自分自身を信頼できるか否かなのだ。それに尽きる。
信頼できていないものを愛せるかっていうの。私は全然信頼していなかった。
人生を楽しんでいるように見える人を観察すると、人生に対して、自分に対しての肯定間が高い。老後がお金で困ることを想定していないし、仕事上の困難も絶対に何とかなると根拠なく考えているし、そもそも人生を信頼するーとか、愛するーとか、そんなことは意識下になくて、無意識に自動的に出来ている。
最近、目線を変えてみる実験をしている。信頼できない自分の人生にそれでも信頼を置くという実験である。私の人生に信頼に足ることはあるのか? 信頼するということを前提に眺めると、結構材料がある。
2度がんになったけど助かっていて私って強運だなーとか、7年間くらい仕事ほとんどなかったけど生きてるーとか、いまは仕事があって幸せーとか、自分の努力や業(わざ)を超えて、それでも成立している事を確認して、そのポジティブな面にフォーカスするのだ。
2度がんになったけど助かっている、という風に考えると、こりゃすごい強運だな、って思う。2度とも自分でしこりを見つけているのもすごくない?
そういう視点で私の人生を眺めてみると、無条件にまず信頼してみようかと思えるし、無条件に信頼できれば愛すことも難くないのではないか。自分に、自分の人生にまず信頼を寄せる。言うは易し、だけど試してみる価値はあるように思う。
ありがとうごめんなさい愛しています許してください、4つの言葉でクリーニング。
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ポジティブワード連発、絵文字多発のナゾのブログ。理論的な説明は一切なしなので正直面食らう。当初まったく理解できなかったが、理解しようとすると目先のことに気を取られてしまい失敗するので、あえてそういうことをまったく説明していないのではないか???しかしこの解釈があっているかは不明。いじけまくっていた私に根気強く話かけてくれた本気の人。