ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

がんサバイバーの私だって両手に包丁持ってしまったかもしれない。

死にたいなら、一人で勝手に死ねばいい、とは思うものの。

登戸で小学生と、見送りに来ていた父兄が亡くなった事件で、今日のワイドショーも持ちきりである。現場となったコンビニの横にはうず高く献花や飲みもの、お菓子などが置かれ、お祈りに訪れる人をカメラが取り囲む。

 

犯人はすぐ自死。彼の自宅に捜査が入ったようだが、携帯もPCも所持していないようだと聞き、驚く。働いていたとい話も聞こえてこないし、ここまで社会と隔絶して生きてきた人も珍しい。

 

どうやらこの小学校にいわれのない恨みをもっていたらしいことは伝えられてきた。逆恨みというか、巻き添えとなったお二人が気の毒でならない。そして、簡単に自死するくらいなら、なぜこんなことを巻き起こしたのか。死ぬなら一人で死ねばよいではないか、とつい思ってしまう。

包丁を両手に握りしめるまでの時間は遠いけれど。

犯人の男性がどのような人生をたどったのかはまだよくわかっていない。気の毒な身の上だったようだが、それだけがこの凶行につながったとも思えない。

 

しかし、社会と隔絶してきてことは事実だ。本人の努力が足りなかったのか、環境のせいか、そのどちらもか、PCも携帯ももたず、仕事もせず、とにかく彼は社会から隔絶して生きていた。

 

最初は自分のふがいなさを責めたかもしれない。そのうちそのふがいなさを社会に転換していったのかもしれない。包丁を両手に握りしめるまでの時間の流れ、その間の心の流れはわからない。PCも携帯ももたない彼の心がどのようだったか、今となっては判明するのは難しいように思う。

私だって包丁握りしめてしまったかもしれないと思う。

3月から定期的な収入を得られる仕事をしている。毎日出社しなくてもよいので、体調の管理もなんとかなっているのが有難い。そして忙しい。忙し過ぎて追いつけない…と身がひるむこともある。作業しなければいけないのに寝込んでしまったり、休日を一日中横になって過ごすこともある。でも、全然苦になっていない。なんとかキャッチアップできている。そしてそれが私の心に大きな変化を与えている。忙しさとは裏腹に、心の中が静かだ。驚くようなこと、かちんと来ることももちろんある。でも以前のように心が波立たない。怒っているようで、心の芯が怒っていない。

 

居場所がある。そして役割がある。私は社会的な認知を求めているんだなあとつくづく思う。行く場所があり、やることがある。そしてそれによって得る収入がある。なんて幸せなのだろうか。ばかげているかもしれないが、本当にそう思う。

 

がん治療をしている最中も細々とだが仕事はしていた。でも何か月も仕事がないときが続いた。治療の最中だったし、体力的に厳しいときもあったから、仕事どころではなかったタイミングもあった。でも私はライターなので、自宅でできることは結構あると思っていたから、なんでもいい、何か仕事がほしかった。でもそんな都合のいい仕事はこなかった。営業をしたり、色々な人に働きかけたりしたものの、芳しい成果はなかった。

 

大げさに聞こえるかもしれないが、私は100円でいいから稼ぎたかった。企画書を書いて。コピーを取って。テープ起こしして。どんな仕事でもよい。家で、私のスキルを使ってできることならなんでもよかったのに、なんでもやりますと言っているのに、仕事がなかった。

 

そういう時期の私のいじけ方はすさまじかったと思う。気晴らしに遊びにおいでと言ってくれた友人に、もうずっと気晴らししているの!私がしたいのは気晴らしじゃないの!仕事がしたい!と言い放ったことを私は覚えている。私という人間の浅ましさ。

 

どんなに声を大にして叫んでも、どこからも返事がない。そういう優しさ、気遣いをしてくれる友人にそんなことを言ってしまうほど、私はひねくれ、ねじれ、悶えていた。あの時間がまだ続いていたら。最初は周囲への恨み、そしてそのうち、社会への恨みに転化していったかもしれない。

結局、運かもしれないが。

私はいま仕事を得ているが、それは私の努力とは一切関係ない。私の営業活動、努力、そんなものは全く役立っていない。ただ、忙しいからおいで、と言ってくれた人が一人いたのだ。私の努力はなんの関係もない。そういう人がいてくれたという運。運に載せられて今日がある。

 

あの、心がねじれてジタバタ日々はいったいなんだったのだろう。正直、その時の営業活動はまったく実を結んでいない。ただ、私を思い出してくれた人がいた。それだけだったのだ。

 

両手に包丁を持ち、人を、自分を殺めてしまう人と私の何が違うのだろうか。大して変わらない。でも思う。思い出してくれる人がいる。役割を、居場所がある。それだけで、結構普通に生きられている。だからこそ、伝えたいと思う。闘病中の孤独や、日常を取り戻す難しさを。それを乗り越えたいと思っているサバイバーがたくさんいることを。私は本当に運がよかった。

 

孤独とヒマと無関心は人を殺す。

 

 

 

 

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