自分が本当に望んでいることがなにかを、たぶんまだ知らないんだと思う。ふだんは、口を開けば、仕事がほしいだの、経済的に安定したいだの、自己実現したいだの、言っているけれど、本当にそうだか、わかったもんじゃない。
まあ、適当に聞き流してほしい。想い出したことがあったので書いておきたい。妹のことである。
がんの苦しみよりも彼女を苦しめたことがある。経済的な問題である。仕事を辞めて治療に専念したのはいいが、毎月彼女のインカムがまるっとなくなったわけで、完全に家計はショートした。
とにかく子供を置いては死ねないので、治療は続けたい。そして現在の生活も維持したい。そこで夫の家族からの支援を仰いだが不発。母も施設に入っており、妹を庇護しようにもその能力がない。そして私。いまも仕事ないけど、その頃もなかった。毎月のレギュラーの仕事はあったのだが、お前の原稿が気に入らないからクビ、と言い渡されたばかり。助けたくても助けられない状態だ。
9月に入り、追いつめられた妹は、とうとう車を手放すことになった。売る売らないとすったもんだしたあげく、とにかく車を手放して、生活をコンパクトにしている姿勢を見せなければ、だれからも援助を得られまいと親友のAちゃんから説得されてのことだった。その後、どんどん体調が悪くなっていき、10月20日に入院。車を売ってから1か月も経っていなかった。
激しい頭痛の原因ががん性髄膜炎とわかり、余命1か月と告げられたのは11月に入ってすぐ。亡くなる2週間ほど前になると、意識があっても普通に会話することが難しくなっていた。ただ時たま、ぽつりぽつり、と話しかけてくる。
お姉ちゃん、私、本当に自分がほしいものがわかった。と、突然妹が言うのだ。ほぉ。本当にほしいものってなに?
海のそばの田舎に引っ越してね。息子を助手席に乗せて、毎日ドライブするの。それが私が本当にしたいこと。ほしいものだった。いま、わかった。
仕事でもなく、お金でもなく、都会のマンションでも、ブランドもののバッグでもない。息子と毎日、海岸線をドライブする生活が、本当にほしかったものだったのだと、妹自身が、それまで知らなかった。身体の自由を奪われ、食事することも出来ず、生きる喜びの大半をもぎ取られた死ぬ2週間前に、ようやくわかったのだ。
そしておそらく、妹だけではなく、だれも自分の本当の望みを知らない。この身体を持って自由に生きる喜びを甘受している時には、わからないのだ。ほんとうのほんとうを。
いま、わかった。と静かにきっぱりと言った妹に、かける言葉はなかった。ただそばにいて、うんうん。そうか。と私はうなづくだけだった。
亡くなるまでの日々は、きちんと書き留めておきたいのに、なかなか書けない。11月になると、いつも妹と過ごした日々のことを思い出すのに。
身体を持っているということは、欲のかたまりをぶら下げて歩いているのと同じなのだろうな。
見送ったあの朝から今日で、4年経つ。