思い出した。訴状エピソードゼロがあったことを忘れていた。
母の2回目のごみ屋敷を整理するにあたり、業者のお兄さんたちが家中のものを路上にじゃんじゃん運び出していたときだった。これ郵便受けに入ってたっすと、どさっと渡された封書の束。それだけではなかった。部屋からも出てくる出てくる封書。デパートの大きなショッピングバッグいっぱいになるくらい大量のそれが、全部さまざまな弁護士事務所などから発送された、警告書だったり、申立書だった。
……怖いな怖いな怖いな怖いな怖いなおっかないなおっかないなおっかないな、と稲川淳二のマネを妹とふたりでしてみた。とりあえずそういうギャグでも飛ばさないといられなかったのだと思う。稲川淳二のマネをしてふたりでゲラゲラ笑った。そのあと、仕方なくふたりですべての封書を開いた。
母は、自身の年金と私たちがまかなう幾ばくかの生活費で暮らしていたにもかかわらず、総インカムを超える金額の買い物をしていた。テレビ通販の化粧品や健康食品などを購入したにもかかわらず、支払いをしていなかったのだ。私と妹でどうにかなるものでないと判断し、センセイにお出ましいただくことにした。そのお力は絶大で、その後お手紙攻撃はぱたりと止まった。ごみ屋敷を片付け、施設へと入所するだけでも、私と妹は大混乱に陥っていたのだ。思い出すだけで心がズーーンと重くなる。
何かを購入することで満たされるのか、テレフォンアポインターとの短い会話に癒されるのか。購入したもののほとんどは、使用されず、ただ部屋に積み重ねてあるだけなのに。認知症、老いの孤独は凄まじいものだと思った。美しく老いるとか、可愛いおばあちゃん、とか押し付けられた幻想に過ぎないんだよな。
きちんとしていた人だって、老いや孤独に置かれたら、自分をどう処するかなど、わかったものではないのだ。自分の人生を、いつまでも自分でコントロールできる、と考えるのは不遜なのだ。
それを怖いと思っているし、なるべくなら避けたいともちろん思っている。でもそうなったらなったなのだ。それも含めて、それを持ちこたえられるような人間関係を築く努力をしたいと思う。それすら幻想かもしれないけれど。
母は、そこがプアだった。どうしようもなく。それも含めて、そういう人生を選んだ人なので、批判しても仕方ないと、最近やっとあきらめがついてきた。