ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

母の日のことなど

今日は2020年5月11日月曜日。母の日はもう終わったのだろうか?母の日がいつ行われているものなのか、私は知らないのである。5月にあるっていうのは知っているけれど、それ以上のことは知らない。あ、カーネーションを母に贈って、日頃の感謝の気持ちを伝える日、という基本的情報は知っている。

 

私がこの母の日の基本的情報を知ったのは、小学校1年生のときだったと思う。へえ、なんかそれいい。私もやってみたいと思ったが、そのときすでに母の日は過ぎていたのだった。来年は母の日、私もやっちゃうもんね。と意気込んだことを覚えている。

 

そして翌年、4月の最終週に、近所の商店街の花屋さんへ赴き、カーネーションの価格を調べた。1本100円くらいだったので、手持ちのお小遣いで何本購入できるか計算し、6本くらいは買えそうだと判断。まあそれくらいあればよかろうと納得した。

 

当日、お小遣いを握りしめて、リサーチ済の花屋を訪れた。母の日の花屋は先週よりもカーネーションの種類も多くディスプレイされて、どれにしようかわくわくしたのもつかの間、なんと、先週まで1本100円見当だったカーネーションが、のきなみ1本200円以上するではないか!小2の私、大ショック。6本は購入して見栄えを整えたいというもくろみは崩れた。しかし、ここまできて手ぶらで帰るわけにもいかない。私は600円を差し出し、それで購入できた赤いカーネーション3本を包んでもらい、帰宅した。

 

玄関を開けると、母はテレビを見ていた。私は母の日のプレゼント、と言って3本のカーネーションを手渡すと母はこう言った。このカーネーションを買ったお金はどうしたの?と尋ねられたので、お小遣いをためて買ったと答えると、私があげたお小遣いってことは、それは私のお金のよ、と母は言うのだった。だからもらってもうれしくない、と。私の母の日は、この日で終わった。その後、2度とこの人のために、母の日を祝うことはしないと決めたからだ。

 

いやもう、どうでもいいことなのだ。今でこそ、この時の母の苦境を思えば、こういうひねくれたことを子供に言ってしまう精神状態をおもんぱかることはできる。大変だったんだよなあ。シングルマザーで、誰にも頼ることができず、お金だけでなく精神的にも辛いことばっかりだったんだよな、と。だから私は母を恨んでいるわけでない。

 

恨んでいるわけではないが、諦めた。私が思うように、否、私が理解できるような形で愛されることを諦めた。母はいつも私にあらゆる要求と、そして不満を表明し続けるのだが、ということは、私だって、母が理解できるような形で母を愛していないのだ。

 

私に対して母は、強烈に経済的援助を求めた。20代から30代のころの私は、経済的に自立し、そして当時としてはまあまあ稼いでいたので、支援することができた。でも支援すればするほど、もっともっともっと、となっていった。あ、これ以上行ったら私も危ない、と身をすくめることがあり、そこで私は母との付き合いを絶った。

 

お金と愛情というのは過分に引き合っていると感じる。私のお金で買ったカーネーション、という、私の母親への素朴な愛情を打ち砕くような、母のお金への妄執は、それはまったくイコールに、孤独なシングルマザーだった母の、不足していた愛情への渇望だったのだろう。それはわかる。そしてそれは許したい。今はあの時の母の気持ちがわかるからだ。

 

でも、やはり、この世には、それを言っちゃあおしまいよ、ってことがあるのだ。自分の渇望を、まるっと私に転嫁されたことも嫌なんだよな。シングルマザーで苦しいこと、寂しいことを、子どもに転嫁したんだよな。3本のカーネーションに。

 

諦めるところからはじまるというのは本当で、諦めたらどうでもよくなった。私たちは親子でありながら、まったく理解しあえない他人なのだ。思うような形で愛情を表現しあえないのだから、そこに希望は見出さなくていい。そっとしておけばいいのだ。求めるから、傷つけあうのだ。私は母が息災に、幸せに晩年を送ってほしいと願っている。そのための最低限のことは手伝うが、それ以上のことはしない。私はもう、私が折れて、母が理解できる形の愛情は提供したくない。それだけ。

 

愛情は、まったく50-50でなくてもよい。しかし、10‐90でも、20-80でもだめだ。適度にバランスが取れるくらいのシーソーでなければ、私はもう嫌なのだ。私がてんびん座だからかもしれないけど!

 

私は母を許しているし、求めない。それでもやはり、私のお金で買ったカーネーションはうれしくない、という言葉が蘇ってくるときがある。この時期の花屋さんは嫌いだ。母の日が近い時期の花屋さんに行くとさまざまな種類の、美しいカーネーションがディスプレイされている。それを見て心が痛まないわけではないから。

 

 

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