カーネーションを美しいと思うけれど、母の日は嫌いな私。カーネーションを贈ったことは生涯に一度しかない私だが、そういう頑固なところが、結局母に似ているのだと思う。
母は現在施設で暮らしている。いまのスタッフの皆さんはとてもよい方たちで、手厚い。私ができないことをしてくださっている、それだけで本当に有難い。妹が亡くなってからのこの数年、年に数回救急車で病院へ搬送されることがある程度には、母はどんどん衰弱していっているが、今のところすぐに回復し、施設での生活を続けている。
施設のスタッフや病院から緊急連絡が入るたび、私は自分に問う。このままでいいのか。本当にいいのか。でもやっぱり私はここで母と和解するというか、やさしい言葉をかけたりして、残り少ない時間を分かち合う、ということを選択しない。後悔することになるのかもしれないが、どうしても、そんな気になれない。
わかっている。私は母がどんな苦境を経てきたかを知っている。その言葉の、その行動の裏には、母の煩悶があることを知っている。しかし母は、私も妹も、母と同じくらいの煩悶を抱えていることを、理解しようとしなかったのだ。
私が折れて、母に優しい言葉をかけることもできる。でももうこれ以上、折れたくないのだ。何度も何度も、自分の意を曲げて、母の望みを叶えてきた。もう、自分の心を犠牲にしたくないのだ。だから母が死ぬまで、この平行線をたどるしかないのだ。
母も私も似た者同士だと思う。お互いに、自分が理想とする娘像、母像から離れないで生きてきた。そういうところ、やっぱり似ている。いや、私は手放したけど、母はどうかな。
分かり合う、というと、妹が亡くなる数か月前のことを思い出す。なにかが急に腑に落ちた様子だった妹のことを。あの頑固者が、ふと見せた他者への深い理解。ああいう瞬間が、私が亡くなる時もあるだろうか。そしてその時、母に対してどんな思いを持つのだろうか。