アニメ映画「若おかみは小学生!」に衝撃を受け、心がずっとざわついている。ネタバレになってしまうので詳しくは書かないが、相当な問題作である。私が小学6年生12歳の主人公・おっこだったら、自殺するか、グレ散らかす。絶対に、あんな風に受け止めることはできない。
でも思った。あれは、訪れる人を受け入れ癒す、温泉地の若おかみという役割を引き受けているから為せることだったんだと。おっこという12歳の少女のままでは、人生の過酷を受け入れて、心の安寧を得ることはできなかったはず。ありのままの、そのままの自分ではなく、そのとき自分に課された(もしくは自分で課した)「役」を演じながら生きる。ありのままの自分のままでは起こることが難しかった、心の治癒が起こるのではないか。
先日、池江 璃花子さんがNHKのドキュメンタリーで「元気になってみんなを力づけたい」「それが私の使命」と言っていた。私にはそれが痛いほどわかる。それはがんサバイバーあるあるなのだ。この私ですら、死への恐怖、治療の苦しみ、これまでの生活を失うことの悲しみの中にあり、そこから立ち上がるべくもがいていたとき、彼女と同じように、勝手に使命感に燃えていた。世界を変えたいと本気で思っていたから。そんな使命感に突き動かされて、「キャンサー・サバイバー・ネクスト・ドア」という活動を続けている。
私は池江 璃花子さんに、使命感に燃えたジャンヌ・ダルクのようになる必要はない、と書いた。ありのままで、オリジナルな幸せを見つけてほしいと。でも違うんだよな。いまは、彼女のネームバリューとパワーを持って、彼女の心に燃える使命感のままに、頑張っていいんだ。素の自分では無理なんだ。スターアスリートでがんサバイバーというロールを使って、多くの人を励まし、力づけることができるだろう。そして彼女の心は治癒していくだろう。それは多くのサバイバーが歩んだ道。みんな、熱い想いに突き動かされて、患者会を作り、仲間を集め、声を挙げている。みんなのために働く。そして自分の心に治癒が起こる。
でもいつか「役」を終える時もあると思う。サバイバーであることは変わらないが、もうひとつ先のステージにスライドしていく時は、必ずやってくるはずだ。そうしたら、そのまま素直に進んでいけたらいい。それだけでいいと思う。人は自分のためだけに生きていくことはできないんだ。