遠足気分で治療後初の検査、診察へ
鎌倉は夏。
770円払ってグリーン車に乗り込み、一路南下。片道1時間半の遠足気分で病院へと向かう。7月頭、治療後初のフォローアップ検査、診察に行ったのだ。熱海行かー。こんな良い天気の7月の平日、このまま熱海まで行っちゃいたい気持ちを抑えるの必死。
放射線治療が4月に終わり、私の今回の治療はこれで手打ち。これ以上の治療はしないのだ。私の乳がんはトリプルネガティブという種類のもので、手術、抗がん剤、放射線と標準治療を終えたら、その後服薬などはない。
治療はこれでお役御免、トリプルネガティブな私
トリプルネガティブ乳がんとは、ホルモン受容体(エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体)、HER2、どれも存在しないタイプの乳がんのこと。ホルモン受容体が陽性なら、標準治療後にホルモン療法の対象に、HER2陽性ならハーセプチンを投与する対象になる。つまり、ホルモン受容体、HER2が陽性なら、手術、抗がん剤、放射線治療にプラスして、有効な治療法があるのだ。
トリプルネガティブは、ホルモン療法もハーセプチンも効果がない。乳がん患者の10%を占め、予後もよくないとされるため、トリプルネガティブとわかって悲嘆にくれる患者も多いらしい。
私はトリプルネガティブ自体には悲嘆しない。何年も続くホルモン療法をしないで済むではないか。なんてラクなの!と思えるのは、最初の乳がんから16年間、何事もなく過ごせてきたからという、幸運に恵まれたからだけれど。
ふくろうの会という、トリプルネガティブ乳がんの患者会のサイトにわかりやすい解説ページがあるので参照されたし。
検査はスムーズ。
胸部レントゲン、胸部エコー、血液検査を済ませ、検査結果が出次第、診察室に呼ばれる流れ、ここまで1時間半ほど。A先生から、よぅ久しぶり、手術から1年経ったなあ。と声をかけられる。あっという間の1年だ。
あおむけに寝ながらと、上体を起こしての触診を経て、検査結果も見たけど合格だよ、とからっと言われると、こちらもほっとする。次は3か月後だよ。医者の言うこと聞いてちゃんと来てよ!とA先生はどこまでも明るい。
実のところ、毎回この定期検査にドキドキするのである。なんでもないはず大丈夫なはず、と心の中は疑念と楽観とがないまぜである。そして大丈夫だよ、という言葉に胸をなでおろす。毎回この繰り返しなのだ。
怖すぎて
近藤外来もやめてしまった17年前。
17年前、左乳房のがんのときは術後のフォローアップ検査は、慶應の近藤先生のもとに通っていた。本来は手術、抗がん剤をしたA先生のもとにフォローアップに行くべきだったのだろうが、遠いし、当時の尋常ならざる混み方にへきえきして、慶應の近藤外来で済ませていた。近藤先生のフォローアップは触診のみ。腫瘍マーカーもレントゲンもエコーもしない。ゴッドハンドかよ!と内心笑いがこみ上げていた。
しかしそれも1年でやめてしまったのだ。なぜなら怖いからだ。おかしな理論だけれど、本当にそうなのだ。3か月に一度のフォローアップに行くたびに、再発という言葉が頭によぎる。職場にはがんのことは隠していたから、定期的にフォローアップに行くために休んだり、仕事を抜けたりすることも気が重かったこともあり、私はフォローアップすることから逃げたのだ。
もう逃げない、と思う。
そのほうが清々しいから。
でもこれからは粛々とフォローアップ検査、診察に通おうと思っている。がんであることをもう隠さないでおくことに決めたし、怖いといっても、17年前の怖さとは違うのだ。17年前に感じていた恐怖は、隠していたことと関係あるように思う。もし再発したら。それは命にもかかわることだけれど、それだけではない。職場も、仕事も失ってしまうという恐怖が大きかった。絶対に失いたくないもの、それは仕事だったのだ。
あの頃の私を支配していたのは恐怖だけではない。心の奥には怒りがあった。体調が悪いのに、フォローアップの検査にも行かずに仕事しているのに、なぜ認めてもらえないの、という自分勝手な、静かな怒りがあったのだと思う。
いま、私の周囲の人たちには、あらかた病気のことは話している。できることもできないこともあるから、それを率直に話す。時間が経つにつれ、外出する機会も増えて、できることも少しずつ増えてきた。自分のからだをいたわることができる、それは自分を大切にすること。正直なコミュニケーションのほうが、よい関係を結べること。そんなとても基本的な、当たり前のことがいまはできるから、やっぱりがんであることを公けにしてよかった。
血液検査、胸部レントゲン、胸部超音波、診察、しめて4,950円也。
入院手術、抗がん剤、放射線にかかった費用もまとめておかなければ。
#フォローアップ #乳がん #トリプルネガティブ #近藤誠医師