ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

2001年左胸乳がんのこと

近藤誠とがんリテラシー/死の恐怖を見つめる勇気がないままだと、がん患者はいつまでもカモネギ。

定期的に著作の発表をするもんだから、最近また近藤誠界隈が騒がしい。2001~2004年くらいまで(くらい、というのは途中で経過観察をバックれてしまったため)私の主治医は近藤誠であった。その頃もいまも、彼へのバッシングは激しかった。しかしそれをもの…

誕生日はもう1つの誕生日、らしい。

最初の手術から18年経つ。誕生日に入院して翌日手術したのだから、やっぱり新たな誕生日を得たような気がしている。 毎年あほみたいに、あーxx年経ったわ。。。と感慨にふける。あんなに落ち込むことも早々ないので、やはり特別な経験だったと思う。しかしさ…

2001年9月11日、乳がんですと言われた日。

早いもので、もう18年前のことになる。この日のことを書いた過去記事を貼りたいのだが、PCとwifi の調子が悪いので、いまはできない。後ほど貼ります。 何年経っても、あの日の、気持ちの底がぶち抜かれたような、なんとも説明し難い心持ちを思い出すことが…

抗がん剤をしないという選択をしたKさんのこと。

Kさんとの出会いは2001年のこと。慶應の近藤誠外来でのことだった。 exgirlfriend.hatenablog.com 同じ日に近藤外来で初診を受け、手術をするためにA医師のいるO病院へ回された。手術は私が一日先に受け、放射線もほぼ同日から慶應で開始した。温存手術、放…

なんでやろ?病院でこんなに優しくされたことないわ!と大阪から来たKさんが何度も聞くので答えた話し。

2001年、私とKさんが乳がんの手術後、慶應の放射線科に通っていたときのことである。当時の慶應の放射線科は近藤誠医師が在籍しており、週1回水曜日の診察日には日本国中の乳がん患者の女性が詰めかけ、座る場所もないほどの大混雑。私もKさんもそのひとりで…

17年前の今日、誕生日に入院した私

家族が運転する車に乗って、一路鎌倉方面に向かった。入院準備は万端だったはずなのに途中サービスエリアで休憩したとき、保険証を忘れたことを思い出す。なにやってんだか。シラケた気分で病院へ向かう。17年前の9月30日、私は入院したのだった。バースデー…

あの日、私に乳がんの手術跡を見せてくれた人へ

前回の記事で、2001年 9月11日に乳がんの告知を受けたことを書いた。 exgirlfriend.hatenablog.com 9月11日からは怒涛の日々。この週には、セカンドオピニオンに慶應の近藤誠のところへ行くと言ったら、絶対10年後生きていないから!と怒声を浴びせられ、そ…

2001年9月11日世界同時多発テロの起こった日、乳がんと宣告されました。

17年前の夏、8月の終わり。スポーツジムでトレーニングしたあと、いつものように入浴し、ロッカーで着替えをしていたとき気が付いた。左胸の内側上部に真っ赤に腫れあがったしこりを見つけたのだ。毎日の入浴時も、着替えの際にもこれまでまったく気が付かな…

藁をもつかむ

2001年、最初の入院中、母が見舞いに来た。 手術には、来なくていいと言った。ただオロオロするだけなのは明らかだからだ。 入院前にも電話をかけてきて、なんでなんで私ばっかりこんな目に遭うのかしらと泣くのだ。こっちのほうが泣きたいのに、娘ががんな…

抗がん剤で具合が悪いときに食べていたもの。

食べられるものを食べる。 のっけから結論なのですが、結局、抗がん剤中に食欲がないとき、気持ちが悪くて食べられないとき、普通通りに食べるのはどうやったって無理なので、そのとき食べられるものを食べる、でいいと思う。 私の場合は冷たくて、甘くて、…

中嶋、抗がん剤中に太ったってよ

体重計に乗らんでもわかっている。 中嶋、抗がん剤中に太ったってよ。 梅雨寒である。外出時、半袖では心もとなく、長袖のシャツにパンツにジレを合わせてみる。それでも少々肌寒さを感じるほど。でもウイッグをかぶっている現在、これくらい涼しいと助かる…

なぜ私はがんになったのかという問い。

慶應の近藤外来で知り合ったKさんのこと。 Kさんと知り合ったのは、2001年9月。慶應病院の近藤誠外来である。 左乳房のがんが見つかり、くりぬきの乳房温存療法がしたくて訪れた近藤外来の初診の日のことだった。当時の近藤外来は、日本全国から乳がんを患う…

私の主治医は近藤誠医師でしたがなにか。

近藤誠医師のところで治療したと知るやいなや、 烈火のごとく怒られる私。 最初に言っておきます。私は近藤シンパではない。いまの近藤誠医師の言動に支持できるところはない。 でも2001年当時、日本中から乳房温存療法を求めて、多くの乳がん患者が慶應の近…

1度目の乳がん 抗がん剤 CMF療法

2001年当時の抗がん剤は、CMF。 これ、結構吐き気が強く出る。 現在のように、良い吐き気止めがまだない時代、 とにかく吐き気をどうやり過ごすか。 結局、寝て過ごすしかなかった。 (16年後にまた吐き気と闘うとは思わなかったけど) 起き上がるのも困難で…

1度目の乳がん 手術から退院まで。

2001年9月、1度目の乳がん発見から入院までの経緯は以下へ。 exgirlfriend.hatenablog.com 2001年 9月30日 35歳の誕生日に入院。 この日は日曜日。病院全体がひっそりしている。 入院病棟のナースステーションに声をかけると、まず体重と身長測定。 その後ベ…

1度目の乳がん 入院まで。

16年前の1度目の乳がんから、2度目の乳がんの時系列にしてみる。 まず1度目。 2001年 8月末 左乳房内側上部にしこりを発見。 スポーツクラブでシャワーを浴びた後、下着を着けるときに初めて気が付く。 当時、卵巣脳腫の治療に通っていた総合病院に、しこり…

近藤誠医師の患者だった私の顛末。

この記事は、2017年6月30日にフェイスブックにアップしたものの再掲載です。 私は2001年9月、34歳の時に左乳房の乳がんを罹患し、くりぬき法での治療を求め、 近藤誠医師のもとを訪ね、治療をしました。今年6月、右乳房に乳がんができ、 2017年11月現在、術…

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