ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

私の911

お久しぶりです。ブログから遠ざかること1年以上!長くご無沙汰でした。

 

理由としては、人生の流れが激流になり、どんぶらこ、どんぶらこと流されまくっていたんです。こんなに忙しいって、どういうこと???もう、わけわかめ。人生はなぞです。

 

今日はアメリカ・ニューヨークの同時多発テロから20年、という話題で持ち切りでしたね。たまたまNetflix「ターニングポイント」というドキュメンタリーを見てみたり。

 

そうか、20年経ったんだなと。感慨深いです。

 

2001年9月11日。私が最初の乳がんの告知を受けた日。私にとっても忘れがたい日になりました。まだ30代になったばかり、血縁にがんになったものはいなかったし、怖くて、そしてなぜ私が?!という怒りにまみれていました。

 

それからまたいろいろなことがあった。あったなー。妹も乳がんになって死んでしまったし、私もまた乳がんになったり。いつも心の奥底は怒りでいっぱいだった。

 

で、最初に乳がんになってから20年が経過して、これらの出来事に対して、以前抱いていたような「私の特別な物語」とでもいうのか、物語であるかもしれないが、それが特別なもの、という認識はもうやめようと。そういうものでもないな、と。一定の距離を持って眺められるようになったような気がしている。

 

いや、結構つらいことが、不幸の連続が、自分に襲ってきたことは確かなんです。特に2011年からの10年ほどは、死ぬかと思うこといっぱいあったし、実際、私は死んだように生きていた。

 

でもそういう、連続して押し寄せた不幸のずんどこすら、ただそういうことが起こった、ってだけだなと。

 

自分の人生を物語ととらえているから、人生に起こるさまざまに原因や理由を見つけようとする。そこにドラマを見つけてしまうではないですか。確かにドラマはあるのだけど、だからといって、私の困難な物語、ってストーリーを抱えて生きる必要もないわけなんだ、本当は。

 

物語でとらえているうちは、自己憐憫まみれだな、と。

 

911の、この、私にとっても忘れがたい日にあって、なんでかはわからないが、「そんなこともあったなー」と、遠くから自分を眺めている自分がいる。

 

長生きはするものですね。

 

 

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