ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

がんになっても、社会の一員だと思えるように。

がんになったときの仕事問題。

がんになったとき、仕事を持っているか否かで異なることは、その処遇だろう。サラリーマンであれば、手術入院のための傷病休暇を申請したり、場合によっては部署や役職の異動もあるかもしれないが、治療を続けながら働く社員に対して、円滑に業務を進めながら復職できるような体制を整える会社もある。この例はあくまでも会社が協力的なケース。そういう文化が育っていない会社、また中小企業であればがん患者である社員に対してケアする余裕のない会社だってたくさんある。仕事を続けたくてもやめざるおえないケースもまだ多いだろう。会社の規模、文化によってその開きは大きい。

 

フリーランスの場合はまた事情は異なる。入院などによって仕事を受けられない期間がある場合、また抗がん剤治療中にどれくらい仕事を受けられるのか、バックアップ体制をどうするかなど、悩みは尽きない。

 

なぜかいつも、ほぼ無職。そういう意味で私は強運。

私が最初の乳がんになった2001年。仕事を辞めてフラフラしていた時で、就職先を探しつつ、週に2~3日、派遣に出てお小遣いを稼ぐというような生活をしていた。2001年8月の終わりに左乳房にしこりを見つけ、9月11日に乳がんと診断。その後近藤誠医師を主治医として、9月30日にA医師による温存手術を受けるという、いま思えば超特急猛スピードで進んで行ったのだった。

 

2017年、2度目の乳がんのときもそうだ。フリーランスで働いていたが、レギュラーの仕事も少ない時期だったから、入院手術、治療の間の仕事の調整も割とすぐにできた。

 

2度とも発見、診断、入院手術、抗がん剤と、治療の流れにスムーズに乗れたのはほぼ無職のような状態だったからだ。そして子供がいないこと。これも大きい。小学生~高校生ほどの子供がいた場合、そのケアを考えたら自分の治療だけに右往左往することなどできなかったと思う。

 

正社員で働いていたり、手のかかる年齢の子供がいたり、もしくは社会的に責任ある地位にいたら、自分の身の振り方だけ考え、ただ治療に専念することはできなかったはずだ。治療にだけ専念できた私は、ある意味強運なのかもしれない。

 

仕事があってもなくても。

仕事があったら、それはそれで大変だったろうなと思う。会社の理解度、上司や同僚の協力など、社内での調整は、自分だけでどうなることではないからだ。

 

今回の場合、私はフリーランスだったから自由に時間を使え、治療に専念した。とはいえ、もう一度私が仕事を得て、社会に戻れたと実感できるまでには時間がかかっているし、治療の最中の焦りたるや。私は、自分が役立たずになってしまったように思えていたたまれなかった。ゆっくりとそして安心して治療に専念できる環境を家族は私に与えてくれていたにもかかわらず、私は家で悶々としていた。自分の中から湧き上がってくる焦燥感にすっかり参っていた。

 

たとえ仕事を持っていてもいなくても、がん患者が社会的に疎外されず、社会と繋がっていると感じられる場所や機会があればと思う。それはある程度責任を持って為すべきことであり、わずかでも対価として金銭を得られるものだったらいい。それが支えとなって、治療中の焦りを忘れさせてくれるだろうし、治療後の生活に希望を持つことが出来る。

 

誰もが疎外されず、自分の居場所がある、希望がある、と思える仕組みがあるといい。がん患者、サバイバーだって社会の一員だし、誰かの役に立ちたいと思っているし、願っている。

 

 

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