ベランダに瀕死のこうもりがいた。
朝、リビングのロールカーテンをあげると、ベランダになにか、黒いかたまりがあるのをみつけた。窓を開け、ベランダに出る。近寄って見るとその黒いかたまりは、あり得ないことに、小さなこうもりであった。夏の日の夕暮れ、運河と公園に囲まれたこのマンション街にも、ひらひらと飛ぶこうもりを見かけることができた。しかしこのときはすでに10月の終わり。そしてここは高層マンションの中層階だ。20階はゆうにある高さに位置する部屋のベランダなのだ。こうもりが飛んでくること自体あり得ない季節、そして高さ。こうもりは微動だにしない。死んでいるのかと思い、注意深く見ていた。少し目を離した間に糞をしているではないか。死んではいない。しかし弱り切っていることは明らかだった。なぜいまここに。なぜ。いま、ここに来てほしくなったのに。
2015年10月20日妹が緊急入院した。激しい頭痛と高血圧の原因は判らず、入院中は毎日検査を繰り返していた。検査のため、また、戻してしまうことで体力を消耗するのを防ぐためにチューブが挿管されていた。頭痛、高血圧、そして食事を摂ることができないストレスで、妹は医師や看護師と衝突を繰り返していた。検査を重ねても原因にはなかなか到達せず、妹のストレスはさらにヒートアップする。私たち家族も、これまではとはなにかが違うことを感じはじめていた。こうもりがやってきたのは10月24日。そんなときに、瀕死のこうもりがベランダにいて、微動だにしないのである。
死なせるわけにはいかない。
こうもりを追い払うことも、処分することもできたのかもしれない。でもそうはしなかった。とにかく触れたり、つついたりはせず、ただ見守ることにした。ペットボトルのキャップに水を入れ、こうもりのすぐ脇に置いた。夜、寝る前にもいることを確認し、翌朝また確認する。微動だにしないが糞をしている。生きている。水は減っていない。水ではないのかもしれない。ペットボトルのキャップに牛乳をみたして置いた。翌朝、確認するとやはり減っていない。死んだのだろうか。ボール紙をまるめて羽に触れてみると、反応がある。生きている。私は少しほっとして、牛乳を少し足した。減ってもいないのに。
こうもりの看病は、こんな調子で続いた。死なせるわけにはいかない。絶対に死なせるわけにはいかないのだ。験を担ぐわけではないが、いま死なせるわけにはいかない理由が私にはあるのだ。こうもりがベランダに来た日、それは妹が入院して4日後のことだったからだ。なんでもかんでも、妹に結びつけるつもりはない。しかし、あまりにも不吉ではないか。そして誰にも知られてはならない。こうもりのことは、私と夫だけの秘密にした。
こうもりのゆくえ。
こうもりの意匠について調べた。こうもりは意外にも幸運をもたらす意味を持つとして、家紋のデザインに使われたりするという。これは吉兆かもしれない。なおさら、こうもりを死なせてはならぬではないか。糞を掃除して、ペットボトルのキャップに牛乳をそそぐ。それしかできない。どう見積もっても、瀕死の状態だけれど、少しでも元気になって、自力で飛び立っていければいい。1週間ほどそんな日が続いた。こうもりはベランダにいた。その夜も確認してからブラインドを下した。翌朝、こうもりはいなくなっていた。落ちたのか。いや、飛び立っていったんだきっと。きっとそう。
11月になろうとしていた。腰椎穿刺をしてはじめて、がん性髄膜炎であることが判明した。こうもりがいなくなってすぐのことだ。若い担当医は、余命はあと1か月くらいです。緩和ケアのある病院をすぐに探してくださいと言ったが、妹は早く治してハワイに遊びに行きたいんです、とほほ笑んだ。余命なんて当たらないから。そんなこと言っても、結構生きちゃうんだよ、と。現実を突きつけられたのに、妹は希望をぶつけて現実を受取ることを拒んだ。
私はこうもりを想った。どうして私のところに来たのか問いたかった。