2001年、私とKさんが乳がんの手術後、慶應の放射線科に通っていたときのことである。当時の慶應の放射線科は近藤誠医師が在籍しており、週1回水曜日の診察日には日本国中の乳がん患者の女性が詰めかけ、座る場所もないほどの大混雑。私もKさんもそのひとりであった。
外科手術と抗がん剤は、当時まだ近藤医師の盟友であったA医師のいたO病院で、その後東京の患者は慶應の近藤医師のところで放射線治療をすることとなっていた。大阪から来たKさんはビジネスホテルに長期滞在しながら、慶應に通っていた。
なあ、ちさちゃん。うち、病院でこんなに親切にしてもらったことないんよ。慶應の放射線科のみなさんは親切やわ。なんでやろ?と、Kさんが私に聞いた。
そうかなあ。そんなに親切かなあ。Kさんが感激するほどの実感が私にはなかった。それよりもこの混み方をなんとかしてほしかった。放射線科は、乳がん患者だけでなく、さまざまな人が集まっていた。顔なのか頭部に照射する人は頭からすっぽりかぶるマスクしているし、足に照射するらしいおじさんは短パン姿だし、とにかくあらゆる人がわんさかいて、そこにいるだけで人に酔う感じ。
Kさんはむじゃきに、なんでやろ?なんでやろ?ここの人たち、なんでこんなに親切なんやろか?と何度も私に聞いてくる。……ええとねぇ。ここにいる患者さん全員、がんだからだよ。と口からスラーっと出た。Kさんはすごく驚いた顔をして、そやな。がんだからやな!と納得されたようだった。
確かに言われてみれば、放射線科の看護師さん、技師さんたちは、患者に話しかけるときは私たちの目線に合わせてくれていたし、手や腕など、からだの一部に触れながら話しかけてくれていたような気がする。そういうちょっとしたことが、Kさんの琴線に触れたようだった。そういうコミュニケーションが温かさ、親切さにつながるのかも。私はそのときはぴんとこなったんだけど。
でも去年から今年、2度目の治療に臨んだ際、Kさんの気持ちがわかった気がした。抗がん剤投与の際、化学療法室の看護師さんたちは、たえず私への注意をおこたらず、何か変調を見れば真っ先に駆けつけてくれた。つねに私の目を見て、手や腕を取りながら話しかけてくれることで、ホッとする自分がいた。やはり年齢なのか。若いときは人から受けるちょっとした親切に鈍感だったのだ。若い女というだけで、きっと、今より関心を持ってもらえることが山ほどあったから。年って取るもんだね。Kさんのなんでやろ?なんでやろ?が懐かしい。