妹は、乳がんとわかった時すでにステージⅣであった。周囲の友人たちからの温かい応援や協力を得て、治療と子育てに頑張っていた。アバスチンとパクリタキセルを週1回投与するという治療を5月から始め、すぐに脱毛は起こったが食欲はほとんど落ちず、頻繁に友人たちと食事に出かけることもできていた。夏休みには家族旅行へ、そしてママ友たちと海水浴へ行くこともできた。ステージⅣとはいえ、かなりアクティブに行動できていたのだった。しかし本人は始終、高血圧と頭痛に悩まされていた。それを押してでも、子供やママ友たちとの時間を大切にしていた。
10月20日に入院し、11月に入りすぐ寝たきりとなる。本当に近しい友人たち、また妹が会いたい(いや、会っておきたい、だったのかもしれない)友人たちがお見舞いに来てくれた。ただ、個室に移ってからは、基本的に私の許可を得た人だけに面会していただいていた。妹の苦しむ様子、元気だった頃からは想像できないその姿を、だれかれに晒したくなかった。そして少しでも調子の良いときは、息子と最後のいい時間を持ってほしかったからだ。
息子と幼稚園が同じで、それぞれ異なる小学校に上がっても、よくランチなど楽しんでいたご近所ママ友おふたりが、ぜひお見舞いに行きたいと連絡をくださった。妹に会うかどうか確かめると、会いたいという。入院階のロビーに現れたおふたりは、上品な雰囲気の、素敵な奥様然とした方だった。私は彼女たちに、妹の容態が大変悪いため面会は10分ほどにしてほしいこと、とにかく驚かないでほしいことを、くれぐれも伝えて病室に入ってもらう。かおちゃん、xxさんとyyさんが来てくださったよ、と私が妹に声をかけ、彼女たちをベッドサイドへ招いた。その瞬間、xxさんが突然叫んだ。
かおりさんっ!なにやってるのっ!どうしたのっ!こんなことじゃダメじゃないのっ!しっかりしてっ!しっかりしないさいっ!起きなさいよっ!ダメよっ!Y夫くんはどうするのよっ!かおりさんっ!かおりさんっ!こんなことじゃダメじゃないのっ!xxさんの怒声はしばらく続いた。私は何度も彼女たちに、妹の状態が悪いこと、驚かないでほしいことを伝えたはずなのに、xxさんはすっかり気が動転してしまったのだった。xxさんは妹の手を握りながら、ダメじゃないのっ!起きなさいっ!しっかりしなさいっ!と泣きながら怒声をあげ、妹はといえば、ごめんね…ごめんね…とやはり涙を流している。私もyyさんも、xxさんの様子に驚きつつ、でもそれを止めることはできず、そこにいる全員でただ涙を流した。
しばらくすると、xxさんは我に返ったようだった。静かに落ち着いた声で、私にできることはないですか?なんでも言って。Y君に持たせるお弁当はどうしているの?と妹に聞いた。私が毎日作るわ。朝、駅まで持っていくから。安心してね。と優しい声で話しかけてくれた。もう15分が過ぎていた。また来るわね、お大事に、と言って彼女たちが病室を出た。
取り乱してしまい申し訳ありません。かおりさんの病気のことは知っていましたが、1か月前、3人でランチを食べに行ったばかりなのです。どうしてこんな急に。とxxさんは声を詰まらせた。無理もない。この容態の変化は家族にとっても衝撃だったが、友人のみなさんにとっても、最後に会ったときの妹の姿からの落差の激しさは、想像以上のものだったろう。そして、つい最近まで同じ幼稚園に通っていた子供を持つ親として、子供を残してもうすぐ逝く人を見たとき、私たち家族とはまた違うものがあったと思う。xxさんの厳しい怒声には、思いもよらない驚きと、子供を残して逝く妹への悲しみと慰めがあった。今でもときおり、あの怒声を思い出す。
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私は「サロン・ド・ボンヴィヴァン」という、ワイン会などを企画プロデュースするユニットを組んでいる。その中で今年から「キャンサー・サバイバー・ネクスト・ドア」という活動を新たに組み入れてみた。ワイン会の内容はそのままに、パーティの合間にがんサバイバーのミニスピーチを入れるという試みである。これなら、がんに関するシンポジウムや勉強会などに足を運ばない人たちにも、リーチできると思ったのである。とにかくがんサバイバーの話を直接聞いてもらう、知り合ってもらうことで、偏見や誤解を乗り越えていけるのでは、と思うのだ。
2人に1人がなんらかのがんになるというのに、周囲にがん患者がいても、なにか腫れものに触るようにされること、また、とにかく大丈夫大丈夫!と言ってサバイバーの話を聞こうとしない、サバイバーが何を考え、どんなことで悩み、困っているか知ろうとしない人でいっぱいなのだ。自分もがんになるかもしれないのに。
私は、がんでない人に、サバイバーの声を届けたくて、この活動を始めたのだけど、自分が2度のがんを経験したこと、そして3年前、妹が乳がんで亡くなるまでの様子を間近で見聞きしたことがきっかけになっている。特に妹の経験から考えたことが大きい。
私の2度の乳がん経験、そして妹の看取り経験など、がんサバイバーであり遺族であるからこそ、お話しさせてほしいことがたくさんある。