ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

夕食を作ってくれる人がいればいい。

私は夕食を作らない。作らなくなってかれこれ数年経つ。夕食は毎晩、夫が作る。クリスマスも例外なく夫が作った。写真はアボカドのサラダ2種の前菜。

 

 

今朝はお雑煮を作ってくれた。

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きっかけは数年前。夫が料理教室に通うようになったことからである。せっかく習ってきたんだから家で復習がてら作ってよと言ったら、そのまま夕食は夫が作ることになった。自宅で仕事をしているから可能なことなのだが。

 

献立を考え、買い物をし、作るという一連の食事を作るという家事が、どれほど重労働かわかったようだ。私がたまに家で夕食を食べると言っておきながらすっぽかし、外食をして帰宅すると、夫がプンプンに怒っている。いやあ私も悪かったけどさ。あなただってこれまでこういうこと、しょっちゅうあったじゃない?私の気持ちわかったでしょ?と反抗すると、プンプン怒りながらも、まあそうだね、と同意してくれる。重労働というのは身体を使うことだけを指すのではなく、頭も使うし、すっぽかされれば精神的なダメージもある。食事を作るとは、そういう意味で、肉体労働でもあり、精神労働でもあり、感情労働でもある。重い労働なのだ。

 

私の幼少時、母は仕事が忙しく、家族で夕食を囲むということがなかった。中学にあがってから、お弁当を作ってくれたことも数えるほどだった。家族で毎日食卓を囲む生活って、いったいどんなものなんだろう? 私にとってはファンタジーのようなものだった。そういう、穏やかな生活に憧れていた。

 

穏やかさに憧れていたにもかかわらず、刺激ばかりを追う人生を歩んできたと思う。家で食事を作って食べるような時間に終わらない仕事を選んだ。2キロのお米を使い切るのに1年かかるような生活を何年も送っていた。

 

この数年、人生が思うように運ばない時間が続いていた。妹も亡くなり、私もまたがんになり、仕事もせずに家にいた。でも、夫が毎晩作る夕食を一緒に食べる、そういう時間は豊かに在った。失くしたものはたくさんあったけれど、子供の頃憧れていた、家族で毎日食卓を囲むという生活は手に入れた。大人になってから、私のために食事を用意してくれる人がいる。この精神的な充足感の大きさ。私がずっとほしいと思っていたものを与えられているのだ。

 

年末年始の用意も夫がしてくれる。煮物はいらないけどお雑煮は食べたいな。と言ったら、煮物は料理教室で習ったから作りたいそうだ。夕食を一緒に食べてくれる人がいれば、私の人生は成功かもしれないな。と思う。ましてや作ってくれる人がいるんだから、望外に成功かもしれない。

 

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

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