去年の3月後半だったか、まるっとウィッグを外してみたところを、フォトグラファーの田渕睦深さんが撮影してくれた。まだ風は冷たかったけれど、陽は温かく、ウイッグを外してみたら、心地よかったのを覚えている。場所は有栖川公園で、子供を遊ばせる若いお母さんたち、新聞をもくもくと読む高齢者、ベンチでおしゃべりに興じる高校生などなどで、結構な人出。でも誰も私のウイッグを外した様子など気にも留めない。東京のど真ん中では坊主頭の女性でもスルーしてくれる。そういう無関心さがいい。
毎度この話を書くので、読み飽きていると思うが、このころ、私は色々な人に会いに行って、なにか仕事がないかお願いして回っていたが、一向にその機会は訪れず、じりじりと焦っていた。家では毎日のように夫に当たり散らした。夫は私の様子にあきれ果てていたし、その荒れ方が尋常でないので、殺意を抱いたことすらあったと察する。
一度、仕事のサーキットから外れたら、どこにも合流できないのだ。頑張ってね応援しているよ何かあったらいつでも言ってね、と人は言う。私は真に受けて、会う人会う人すべてに仕事がほしい、と懇願していた。今思えば懇願すればするほど、機会が遠ざかって行ったような気がする。懇願されると人はたいていドン引きするという自然の摂理を理解していたはずなのだが、でもあの頃はほかにどうしたらいいのか、わからなかった。いまでもわからない。私がいま仕事にありつけているのは、単に幸運だったから。
仕事はいいよ。あほみたいに忙しいのがいい。空っぽの私を埋め尽くすくらい仕事するのがいい。そしてある日パタッと死ねたら最高。本気でそう思っている。それくらい、あのドン引きdaysにそれなりに傷ついていた。いい年こいて。
サバイバーは、治療が終わったら一息つけるわけでない。治療が終われば、その先に治療後の生活がある。生活は、待ってはくれない。毎日刻々と進む。なのに私だけはまったく進んでいないことを日々実感させられていた。
いつも前向きに明るくなんていられない。私はそういうサバイバー像が大嫌い。そういう像を押し付けられるのが本当に頭にくる。強くて明るくなければ、サバイバーは社会に受け入れてもらえないのか。
自分が社会とつながっている、なすべきことがある、自分の居場所があると、いまは思える環境にあるから、生きていてよかったな、なんて言葉にしてみたりできる。私は幸運だった。あのままどこにも繋がることができなかったら、今でも毎日泣きわめいていただろう。いやもう涙が枯れ果てているかもしれぬ。あの激しい焦燥感を思い出すと、いまも横隔膜のあたりがジリジリとする。
11月30日(土)「キャンサー・サバイバー・ネクスト・ドア」の2回目を開催する。集まってくれるサバイバーは、みんな明るく、楽しい人たちばかり。でも、その明るさも前向きに生きる強さも、そこに至るまで、否、いまだって日々の葛藤を抱えている人たちだ。それでも笑顔を見せてくれるのは、少なくとも完全に孤独ではない、社会と接点をもち、自分のなすべきことがあり、その人なりの活躍を期待されているからだと思う。
ワインや食事を楽しみながら、30分間、サバイバーの声に耳を傾けてほしい。サバイバーの声を届けたい。知ってもらうこと。そこから始まると思うから。ご興味のある方はDMください。
おっさんっぽい私。田渕さん、素敵な写真を有難うございます。