ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

人生会議/どう死ぬかは、その時になってみないとわからないかもしれない

人生会議という言葉。

2017年11月に、人生会議という新語が厚生労働省から発表された。これはアドバンス・ケア・プランニング(通称ACP)の愛称だという。

www.mhlw.go.jp

 

ACPとは 

万が一のときに備えて、あなたの大切にしていることや望み、どのような医療やケアを望んでいるかについて、自分自身で考えたり、あなたの信頼する人たちと話し合ったりすることを「アドバンス・ケア・プランニングーこれからの治療やケアに関する話し合い」といいます。

(パンフレット「これからの治療・ケアにかんする話し合い」より)

 

みんなで事前に、人生の終わりについて話し合うから人生会議なんだろうけれど、この言葉が定着するかどうは少々疑問。単に、ACPで押して行ってもよかったような気がする。

 

この人生会議という愛称が発表されてから、SNSなどさまざまな場所で、この言葉の意味や概念についての意見がかわされた。私もいくつか目を通した。色々な思いが、それぞれに交差していた。私も、複雑な思いでいた。やはり、妹が死にいく過程を間近で見た家族として、思うところがある。

 

妹の願いは何度も変化した。

入院前の妹は、激しい頭痛と高血圧に悩まされていた。いくら症状を訴えてもなにも対処してくれない医師に対して、激しい不信感を持っていた。もう治療はしない。この痛みになにもしてくれない。お金もこんなにかかると思わなかった。お金ももうないから治療はしない。家でロキソニン飲んで、死ぬ、と状況に絶望していた。この時の妹は経済的に追い詰められており、治療を続けることができないから死ぬのだ、という気持ちだった。経済的、物理的に支援してくれない家族に対しての怒りが大きかった。

 

妹が入院して最初の2週間は、頭痛も嘔吐の原因もつかめていなかったことにあいまって、医師との信頼関係を築けていなかったことが、妹の精神状態を激しく乱していた。ここにいたら殺されちゃう、早くどこか違う病院に転院したいから探して、と言われていた。入院したことにより、治療に前向きな気持ちが少し出てきたようだった。

 

余命1か月と宣告されたときも、なんだかんだ言って私はあと20年くらい生きちゃうんだよね、車も買ってドライブして過ごすんだ、ハワイにも行くんだ、と医師に向かって言った。私たちは話を合わせたが、妹の言葉に困惑した。

 

とはいえ、激しい頭痛が常にあり、その後すぐ寝たきりとなった。あと1か月、と本人にも伝えているにもかかわらず、なぜか妹の中では、緩和ケア病棟のある病院に一時的に入院して、体調を整えたら、またここに戻ってきて治療をする、ということになっていた。誰も、そんな説明はしていない。なのになぜか、妹の考えでは治療を続行して治すんだ、ということになっていたのだ。もちろん、今後起こることは姉に一任する、とまで言ってもいたから、死を目前としていることは、わかっていたはずなのだが。

 

その後、死を覚悟するような痛みが毎晩妹を襲う。その間には死を自覚することもあった。でもまたその翌日には、早く緩和ケアのある病院見つけて、体を休めたら、またこの病院で抗がん剤をするの、と私に何度も言う。もうケースワーカーさんにお願いして、3つほど申し込みしているよ。どこも混んでいるから少し待とうよ。と言うと、わかった、と言って眠りについた。私は話しを合わせていた。

 

本当に私はもう死ぬのだ、と妹が自覚したのは、その後、亡くなる1週間ほど前だったと思う。夜中に痛みにうなされながら、おねえちゃん、わたし、もう、いいかな、と切れ切れに言った。

 

死の受容とは、実はさまざなものだ。

エリザベス・キュープラー・ロスの本を何冊か読んでいた私は、彼女の提唱する死の受容の5段階のプロセスが、妹にも起こるのだろうと思ってい見ていた。

 

死の受容とは、まず否認(自分の死を疑う、嘘だと思い信じない)→怒り(なぜ自分が死ぬのかという怒り)→取引(なんとか死なないように、取引をする、なにかにすがる)→抑うつ(なにもできない)→受容(自分が死ぬことを受け入れる)という5つのプロセスを経ていくという、エリザベス・キュープラー・ロスが研究し提唱したものである。

 

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

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妹は、最終的に死を受容してなくなったが、それは死の受容の5段階のプロセスを一歩一歩階段を登るように経て獲得したものではなかった。妹の死の受容は、まるでヨーヨーの振り子のように、行ったり戻ったり、ときにはこんがらがった状態になったりしていた。

 

妹と私は、ずっと「人生会議」について話し合ってきた。最大限、妹の希望を叶えたいと思ったから、彼女の言葉に耳を傾けていた。その言葉は、どの段階においても本心であったと思う。時間もなかった。でもなによりも思うのは、死に直面したときの自分の本心は、健康な時(もしくはまだ治療中など死を考える段階でないとき)に考えていたこととは、まるで違うかもしれないのだ。妹のように。

 

だからといって、人生会議、ACPが無駄というわけではない。やはり話し合っておくことは必要だ。私は夫に言ってある。なるべく家で過ごしたいが、排せつの介護や痛みのコントロールのために医療者のケアが必要となったら、病院に行きたい。病院で死ぬつもりだが、なるべく会いには来てくれと。最期に向かって苦しむことが長引くときは鎮静(セデーション)をお願いしたいと。でも、これだってわからない。私が望む在り方、死に方はその時には異なっているかもしれない。

 

正解がない。だからこそ、話し合っておく必要がある。そして、本当にその状況に直面したとき、死に行く人の思いにもう一度耳を傾けてあげたい。どうしたいのか、聞き届けてあげたい。それが逝く人への、せめてもの心づくしだと思うから。

 

 

 

 

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