ジコカイジ

self-disclosure‐‐‐乳がんのこと、仕事のこと、生き方のことを書いていくchisa/千祥のブログ。

池江璃花子さんへ/セルフヘルプ

先日NHKで彼女のインタビューを見た。元気になってみんなを力付けたい、それが私の使命と語っていた。そう思うのは、池江璃花子というスターアスリートだからではない。がんサバイバーなら誰でもそう思う、サバイバーあるあるだ。私ですらそう思った。
 
死への恐怖、治療の苦しみ、これまでの生活を失うことの悲しみの中にあり、そこから立ち上がるべくもがいていたとき、私も彼女と同じように、勝手に使命感に燃えていた。世界を変えたいと本気で思っていた。
 
いまは少し違う。使命感はなくなったわけではないが、それだけが私の人生ではない。まずは生活を立て直し、一歩ずつ進み、手応えを得る。そこから今の私にできることをする。それだけ。シンプルだ。思うようにいかないことの方が多いが、それでよしとして流されていく。
自分の望んだものは得ることはできないかもしれないが、想像しえなかったものを得たりして、結局つじつまは合うようになっていると知る。
 
使命感に燃えていたあのとき、私は、自分を救いたかったのだと思う。救いたくて、でも救えなくて、毎日悔しいと泣いていたけど、それすら治癒の過程であった。
 
池江璃花子さんはスターアスリートだから、私とはまた違うお役目が用意されているのだろう。でも、使命感を振りかざして、ジャンヌダルクみたいに生きなくてもいい。あなただけのオリジナルな幸せを見つけて欲しいし、必ず用意されている。がんサバイバー同士として、そう思います。
 

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いけえりかこ

医師と患者の温度差/負けいくさに興味を持つ人はいない

 
先週のことである。地下鉄の乗り換え通路を歩いていたとき、ある人とすれ違った。私は一目でその人に気づいたが、先方は私に気が付くわけもなく、私はその人の背中を見送った。見送ったのだが本当は、のど元まで、その人の名前を発声する寸前で、なぜか留めた。その人は、妹の主治医だった。
 
主治医は、都内でも有数の病院の腫瘍内科の、そして我々がんサバイバーとの協働も積極的に行われている方で、その温和のお人柄と、熱心な活動で、人気のある方だ。患者にも親身になって寄り添ってくれる方として評判が高い。
 
 
実際、本当にそういう方だった。妹が訪れた時も、たっぷりと時間を取って丁寧に説明してくれた。ビビリの妹は、どの病院、どの先生に治療をお任せするか、逡巡し続けていたが、その穏やかな様子にすっかり安心し、ここで治療をすると腹を決めた。
 
どこへセカンドオピニオンに行っても、芳しい説明をしてくれなかったが、その方は違った。当初とても前向きに治療に取り組んでくれていた。当初は。秋になり、妹がもうあの先生の元では治療しない、もうこのままロキソニンを飲んで家で死ぬ、とまで言い出すまでは。
 
それ以降のことは、ここで何度も書いているので割愛するが、妹が入院し、病状がどんどん進行していく中で、妹は何度も主治医に話を聞きたい、もっとなにか出来ることがないか知りたいと願っていたが、病室に現れたのは、私の知る限り、3回ほどだった。
 
なんというか、その主治医も、若い担当医も、体温の低さを感じさせた。入院し、がん性髄膜炎とわかった段階で、もう、妹に興味を持っていないのだ、と思わせた。そうだったとはいえ、若い担当医を相手に、私は何度も闘った。そのうち、病院内や病院近くのカフェですれ違っても、わざと踵をかえして、無視されたりするようになった。彼らにとって私も妹も、プシコくらいのものだった。
 
主治医はきっと、サバイバーのセミナーなどで拝見するように、良い方なのだと思う。それは違いない。医師というものがそうなのかどうかわからないが、助からない患者を前にしたときに、興味をなくしてしまうようなのだ。負けいくさに最後まで勇む人がいないように、負けが決まったときに襲わせる虚無感の中にいらっしゃったようだ。私も妹も闘っていたけどね。
 
地下鉄で見かけた時、私は声をかけたかった。お久しぶりです、香りの姉です。その節はお世話になりました、と言いたかった。でも、それだけじゃなかった。やっぱり、あの、最期の1か月間の先生の在り方、妹への向き合い方について、私はきっと恨みごとを言ってしまう。だから声をかけなかった。
 
その方を取材した記事に「治らない患者さんの幸せのために」という見出しがついていた。治らなかった妹を前にして、その家族に対して、あの虚無を漂わせた態度はいったい?と思った。恨んでいない。でもやっぱり、あんな最期はないよ。あの最期はひどいよ。言ってももう仕方ないことだとわかっている。恨んでいない。でもまだ割り切れない。
 
 
 

売名行為

朝日新聞アピタルの記事「「売名だね」ネットに悪口 白血病公表した彼女のいま」を読んだ。

https://www.asahi.com/articles/ASMDF5X2RMDFUFEV002.html?ref=hiru_mail_topix1

 

 白血病であったことを公表したら「売名だね」「同情をひくつもりなの」とネットで書かれたという経緯があるけれども、講演活動などを続けているそうである。タレントさんだから有名税と思うしかないのかもしれないけれど、こういう悪意をネットの匿名性をいいことにぶつけてくる輩はどうかと思う。

 

ここまでどぎつく言われたことはないが、ちまちまブログ書いてる私くらいのもんにも、なぜ公表しなければいけないのかと、やんわり問われることはある。がんサバイバーへの偏見や誤解、孤独な思いを伝えたい。その一心で書いたり、話したりしている。なので、非常にネガティブな内容を含む発信が多い。抗がん剤で髪が抜けて丸坊主になった様子を写真で時系列で見せたり、治療中の体調の悪さ、仕事がなくて未来が描けない苦しさ、社会とのつながりの断絶など、暗くて辛い思いダダ洩れである。

 

ある人に、どうしてこういう辛い状態を世界に向けて発信するのだ?とやんわりと問われた。個人的に、親しい人に話すのはよい。話を聞こう。でも、社会に対して発信するのは美しくないのではないか?露悪的、売名的ではないか、と。

 

そう見えるのかもしれない。そして多少自分の中に、露悪的な面があることも否めない。それは認めよう。公表したことでホッとした自分がいたのだ。公表して気が付いたのは、将来が描きづらい苦悩や、再発するかもしれない恐怖を隠していることが、こんなに自分の心に制限をかけていたのか!ということだった。私はがんサバイバーである私を恥じていたことに気が付いたのだ。がんになってしまったポンコツの私を、恥じていた。露悪的に見えてしまう点は、カミングアウトハイ、というか、自分を認めることができた私!という、自由度の高さに酔っているからかもしれない、といまは思う。

 

でも私は「困難に直面しても、いつも明るく前向きな姿勢の素敵ながんサバイバー」という像に、みずからを当てはめにいかないことは留意している。だって、マジでツライこといっぱいあるんだ。私はそこをマスキングして、明るいがんサバイバーを演じたくない。困ったり悩んだりすることがあっても、なんとか折り合いをつけて生きていることを伝えたい。

 

妹の死が、伝えたいという思いを強くするひとつではある。乳がんなんて早期発見すれば助かる、今時乳がんで死ぬのね、と言われたときの、私の心のもやもやしたあの感情の正体を伝えたいと、思ってしまう。世の中にまん延するがんに対する誤解と偏見を少しでもなくしたい。サバイバーとノンサバイバーのバリアフリー化されていないから、私たちサバイバーは傷つく。だからこそ伝えたい。

 

売名行為上等です。明るくないほうの、社会に受け入れがたいほうのがんサバイバーはこちらになります。

 

 

 

近藤誠とがんリテラシー/死の恐怖を見つめる勇気がないままだと、がん患者はいつまでもカモネギ。

 定期的に著作の発表をするもんだから、最近また近藤誠界隈が騒がしい。2001~2004年くらいまで(くらい、というのは途中で経過観察をバックれてしまったため)私の主治医は近藤誠であった。その頃もいまも、彼へのバッシングは激しかった。しかしそれをものともせずに、乳房温存療法を求めて慶應の水曜日の近藤外来に勇ましく向かって行った私である。

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10年後絶対生きていないから!と暴言を投げつけられてまでも、近藤外来でセカンドオピニオンを受けに行き、A医師の温存手術に満足し、かつ抗がん剤、放射線の標準治療フルコースを受けて、10年を大きく超えて生存している私は思う。

 

近藤誠の主張は間違っている。それは確かだ。しかし、それをいくら科学的なリテラシーを持ちましょう、と啓蒙したところで、近藤信者はなくならないだろう。近藤信者は熱心に近藤本を読み、自分でも勉強し、理論武装している人が多い。バカではないのだ。かなり高学歴で、データなどを読むことにたけている人もいそうだ。それでも近藤誠を信じるのだ。信じてやまないのだ。

 

オウム真理教の幹部信者たちが、軒並み日本の最高学府、東大、京大、筑波大、慶應、早稲田の大学院などで、高度な専門教育を受けた若者たちだったことを思いだす。それと同じことが、近藤界隈で起こっているのではないか。

 

どんなに事実を述べても、近藤信者は近藤誠を疑わない。本当に近藤誠の主張を信じているのかどうかは、彼らが命を脅かされるころになって明らかになる。近藤誠に騙されたという人は、がんが怖かった、治療に困難がまつわることが怖かった、そして、もっと言えば、死ぬのが怖いのである。その自分の本心をまっすぐに見つめて、それでも近藤誠を信じるなら、たとえ死ぬことになっても、騙されたなんて言わないはずだ。

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Kさんは、温存療法を求めて大阪から逃げてきた。温存手術を受けて満足し、放射線とホルモン療法を受けた。しかし誰が説得しても抗がん剤は絶対にしないと言い張った。数年後亡くなったが、文句のひとつも言わなかった。抗がん剤をしなかったのは、髪が抜けるのがいやだったからだ。だから近藤誠のところに来たのだ。

 

近藤誠を信じたい人は信じればいい。そして、それでQOLが良ければ、それでいいと思う。しかし、ああ間違っていた、騙された、と思うならそれは、自分の中の、死の恐怖を見つめる勇気がなかったということではないか。だって、彼の主張の脆弱さや、ご都合主義な点を、これだけおかしい!と異を唱えている人たちがたくさんいるのに、正しい情報でなく、あえて近藤ドクトリンを選んでしまうバイアスを解けないままに過ごしてしまったのだから。

 

だからこそ、普段から、がんのこと、死のことを考える必要がある。サバイバーや遺族の話を聞く。想像力を広げる、繋がる、必要があると思うのだ。私が「キャンサー・サバイバー・ネクスト・ドア」という会を細々と開いているのは、がんじゃない人に、がんを知ってもらいたいから。死と隣り合わせにいても生活する心細さも希望もないまぜになったサバイバーとつながってもらいたいからだ。そして、少しでも考えてもらえたら。

 

11月30日(土)18時から、キャンサー・サバイバー・ネクスト・ドアに来ませんか。

サバイバーとノンサバイバーが一緒になってワインや食事を楽しむ会です。興味のある方はDMをください。

 

 

 

 

 

誕生日はもう1つの誕生日、らしい。

最初の手術から18年経つ。誕生日に入院して翌日手術したのだから、やっぱり新たな誕生日を得たような気がしている。 毎年あほみたいに、あーxx年経ったわ。。。と感慨にふける。あんなに落ち込むことも早々ないので、やはり特別な経験だったと思う。しかしさらに追い打ちかけるようなことが起こるんだから、人生は謎すぎる。

https://www.chisa.online/entry/2018/09/30/225226

 

それでもどっこい、生きている私の図太さ!ときに爽やかにときに図々しく、生きていこうと思った。統御ままならない人生を、放牧状態で生きたい。と、最近は思う。

私、がんサバイバーなんです、ってカミングアウトするか否か。

体力がないからケチくさく生きている

自分のケチくささを感じるのは、「これとこれ、行ってみたいけど両方行くと疲れちゃって、明日午前中のアポのとき、ツライかも」とか、行動を制限して予定を考えてしまうところ。実際、イケイケドンドンで予定を詰めていくと、ぽっきりと体力が折れるポイントがあって怖い。それこそ仕事に穴をあけてしまうのではないか?と考え始めると怖くてたまらない。だから「これ行ってみたいなー。どんなだろう?」と興味を持っていても、事前に諦めてしまう。もっと思い切っていろんなことをしたり、行ったり、人に会ったりして世界を広げねば!出会いがすべて!と思っていても、体を持って行けない。自分で世界を狭くしている。これは年齢も関係あるのかもしれないけれど、30代前編で抗がん剤治療終わって2週間でフルタイムで働き始めた頃とは、悲しいくらい体力が違っている。あの頃だって、ツライなー厳しいなーと思うことは何度もあったけど、それでも完遂できた。あの頃を100とすれば、いまはフルスロットルで40でくらい?でもコンスタントに40だせればまあいいか、と自分に優しくしている今日この頃。がんサバイバーのみなさんたち、みんなそんなにリカバリーできているの?日常生活にがっつりキャッチアップできているの?こんなにだらしないのは私だけなの?いろいろ聞いてみたい。

 

私、がんサバイバーなんです、ってカミングアウトするか否か。

ところで明日10日(火)13時05分から、NHK Eテレで「【特集】がんと共に生きるAYA世代(1)就職活動でのカミングアウト」の再放送がある。私は初回の放送を見逃しているので早速録画している。

 

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OCT同期の山本さんがいいこと言ってる!

https://www.nhk.or.jp/ten5/articles/17/003956.html 

 

AYAとは、10代後半から30代までの“AYA世代(=Adolescent and Young Adult 思春期・若年成人期)”と呼ばれる若いがん患者のこと。私も2001年当時、最初の乳がんを罹患したときはAYAだったわけだが、その頃はそんな言葉は無論なく、そしてカミングアウトするなど考えられない状況であった。治療が終わり、なんとか仕事も得て社会復帰できた私は、先月まで抗がん剤治療していましたなんて、言えるわけがなかった。当時は。

 

18年経ったいま、カミングアウトする人も増えたけれど、それでもこと、仕事になると事情は異なる。AYA世代の半数近くが「仕事」について悩んでいるらしい。特に20代、30代は仕事の基礎、人生の基礎を形成する時期。がんサバイバーです、もしくは治療中です、と伝えて、仕事を得られない、失うとしたら。カミングアウトすることをためらい、考えてしまう。私の場合、カミングアウトするのに、15年以上かかっている。妹の死が背中を押したかたちだ。あのきっかけがなければ、カミングアウトしなかった。

 

いまも仕事の関係者には、必要以上には語らないようにしている。聞かされて驚く人、引く人、それは様々だ。どう受け取っていいのか、どう接していいのか、戸惑うようだ。普通に接してもらいたいし、特に気を使ってほしいわけでもないのだが。でも私自身が、必要以上に引け目に思いすぎているせいもあるかも。

 

と、私もまだまだ、色々考え中の「職場でのカミングアウト」。今回のEテレの放送では、私と同じOCT5期の仲間がインタビューに答えているらしい。もしよかったら見てみてください。私も見ます。そして感想を聞かせてほしいです。

 

 

一難去ってまた一難

フォローアップ検診に行ってきた。

毎度、片道1時間半の遠足気分のフォローアップ検診に行ってきた。マンモグラフィー、胸部レントゲン、胸部エコー、血液検査のフルコースである。やっぱりマンモグラフィーがいや。これ、ぼちぼち検査方法見直す方向にしてほしい。乳房を押しつぶさないでできるマンモも開発されているというし、現在の方法のサディスティックさ、患者の負担でしかないといつも思う。ぶつぶつ。

腹部レントゲン追加のわけ。

今回は上記フルコースに、腹部レントゲンが追加された。実は3月ごろから便秘気味だったのが、ここにきて症状に追い打ちというか、重篤化して、まったくお腹が動かない。痛みもあって、これまでのお腹が張るとか、便秘というのとは違うレベル。いったいなんだ?と医師にお伺いすると、すかさず腹部レントゲンが追加となった。

 

撮ってみて唖然。お腹の中はガスだらけで真っ白なのである。先生、がんとか写ってます?と聞くと、ガスでなんにも見えやしない!と失笑される。ということで、腸閉塞疑いで、投薬中であるが、お腹が動く気配がないのである。

今回わかったこと。

2001年の治療の際は、全身CTや骨シンチなどを行っていたが、今回はCTも骨シンチも、ましてやPETもなかった。主治医はしなくていいという考えなのである。で、今回の腹部検査をしてみて、彼の考えがわかった。胸部の検査に終始しているのは、まず転移をするなら、胸部付近(乳房内再発、腋下リンパ、肺付近)であって、原発ならまだしも、そもそも腸や脳にいきなり飛ぶことは考えつらく、もう末期だね、という考え方だというのである。なるほどねー。なるほどねー。そうですか。ということで、お腹が動かないのが辛い。まだ続くようなら手を打たねば。

 

体調がいつまでもすっきりしないのが、困ったものである。しかし、今回の検査で放射線を浴びまくった。検査過剰もどうかと思うが原因がわからねばどうにもならん!

 

 

 

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