2001年当時の抗がん剤は、CMF。
これ、結構吐き気が強く出る。
現在のように、良い吐き気止めがまだない時代、
とにかく吐き気をどうやり過ごすか。
結局、寝て過ごすしかなかった。
(16年後にまた吐き気と闘うとは思わなかったけど)
起き上がるのも困難で、
少しでもトイレに近いリビングルームに布団をひいて寝ていた。
投与してから3日間ほどは、食事もままならない。
果物、ヨーグルトでなんとかやり過ごす。
脱毛も早く来た。
しかし、全てが抜けることはなく、
かろうじて「すごく髪の毛の薄い人」という程度には残ったため、
ウイッグをかぶらなくても済んだのは幸いだった。
このとき、私34歳。
1999年から1年間のイギリス留学で貯金を使い果たし、無職。
30代で乳がんになってしまったことの先行きの見えなさ、
保険にも入っておらず経済的な心細さ。
なのに、である。
突然私は引っ越しを企てる。
アパートを引き払い、マンションへと引っ越した。
妹がこの年の11月に結婚して、家を出たため、
実家には母がひとりなっていたのも気になっていたので、
実家の近くで見つけた新築マンションだ。
ピカピカの新築マンションは快適であった。
広いリビングに、ベランダから向こうの抜け感が清々しい。
とにかく心が明るくなった。
このとき、仕事の話も舞い込んできた。
ある出版社の女性誌が、美容を担当する編集者を探していて、
私に白羽の矢が立ったのだ。
ここでやり直していくんだ、という気持ちが出てきた。