信田さよ子さんのコラム
「 孫に執着するばぁばの「狂気」から逃れるためにできること」を読んで
このコラムは、孫に執着する祖母の狂気について、その理由についての考察である。信田さよ子さん自身の出産、そして娘さんの出産から導き出されたその考察は、大変読み応えがある。
このコラムを要約するとこんな感じ。
おじいちゃん/おばあちゃんではなく、孫にじぃじ/ばぁばと呼ばせる祖父母が増えているらしい。昔とは異なり、見た目も若々しい高齢者が増え、その呼称の変化から見て取れるのは、老いを認めない姿勢である。老いることの自覚は死への直面であり恐怖を伴う。しかし孫は自分が死んだのちも生き続ける。
かつては娘を使って自己実現を叶えようとしていた祖母たちは、孫が生まれれば娘は用済みになり、孫へと移る。孫にばぁばの存在を刻みつけることによって、永遠の命を得ることができるという、狂気にも似た執着でもって、孫に接するようになる。娘たちは、孫まで生んでくれたことを母から感謝されていいし、無自覚に狂気をはらんだ祖母に気を付けなければならない。距離を置いて、利用するときは利用するというスタンスでよい。
と、要約してみたが、このコラムで秀逸なのは信田さん自身の出産についての記述である。ここからは引用する。
長男を産んだときは帝王切開だったため、産後まる一日経って初めてわが子と対面しました。
そのときの何とも言えない、衝動めいた感覚をおぼえています。長男の顔が、あのサルに似た赤いしわくちゃの顔が、ぴかーっと輝いて見えたのです。
世界ではいろいろなことが起きているし、出産前のあの死ぬほどの苦しみはほんの少し前のことだったにもかかわらず、時間が止まったかのような、あの「現在」しかない感覚が、すべてを忘れさせてくれました。なんてかわいいのだろう、とそれを私は言語化したのです。
まるまる3日間陣痛に苦しんだすえの帝王切開でしたから、たぶん精魂尽き果てていたでしょう。
ランナーズハイのように、拒食状態の女性のように、極限状態に陥ったときに脳内麻薬が分泌されるとしたら、あの形容しがたい瞬間は、一種の快体験だったのでしょうか。
その後それが、しあわせホルモンと呼ばれるオキシトシンの作用だったかと思うこともありましたが、もっと突き動かされるような激しいものだったと思います。
母の快体験を、祖母は追体験する
「そのときの何とも言えない、衝動めいた感覚をおぼえています。長男の顔が、あのサルに似た赤いしわくちゃの顔が、ぴかーっと輝いて見えたのです」「なんてかわいいのだろう、とそれを私は言語化したのです」。このあたり、凄く生々しい。子供を産んでいない私に、生々しく迫ってくる記述である。
そして、信田さんは娘が出産したとき、自身の出産時のこの「快体験」を追体験する。
さらに以下引用。
出先から娘の出産の報を受けて産院に駆け付けた私は、陣痛や出産にまつわる苦労話をひとしきり聞いてから、新生児室に行きました。
そこで、小さなベッドの上で手足を動かしている孫を見たとたん、40年近く前のあのときと同じ感覚に打たれたのです。
目の前の存在を産んだのは私ではありません。私が産んだ娘が産んだのです。しかしなんともいえない、あの突き上げるような衝動に近い感覚が再び私を襲ったのでした。
それからの日々は、我ながらどうかしていると思うほど、頭の中を孫が占領した状態が続いています。
携帯に保存した画像を見て思わずほほえむ、少しでも時間があれば動画をこっそり眺める、といった具合です。
今度いつ会えるかを指折り数えて待ち、会えばもう視線は孫に吸い寄せられて他の情景は目に入らない。その状態は、物狂おしいとしか表現できません。
そしてつくづく思ったのです。孫への思いは「狂気」であると。
孫への狂気の愛の理由が、こんな風に言語化されたものを私は知らない。生んでいない私が、生んだ人達の子供や孫への濃厚な愛情は、このような体験が支えているのかと思うと、怖いような羨ましいような気持ちになる。知りようがないから。
命の船を見送って、その先の未来を感じ取る
妹のことを少し書く。
妹は、特に子供が好きな人ではなかった。だから絶対に子供がほしいと思ってはいなかったし、妊娠したときも自分が母親としてやっていけるかどうか、とても逡巡していた。自分の子供時代があまり幸せなものではなかったものだから、その不幸を再生産してしまうのではないかと危惧していたのだった。
出産したという報せを受け、私は病院へ向かった。妹に抱かれた小さくてくしゃくしゃとした赤ん坊を目の前にして、なぜか、生んでくれて有難うと妹に声をかけた。この子は希望だよね、と妹は静かに言い、そして、私、孫の顔が見たいんだよね。この子の子供を見たいの、と続けた。
この信田氏のコラムを読んで、やっと、なんとなく、わかった気がするのだ。私が生んでくれて有難うと妹に言い、出産直後に孫の顔が見たいと言った妹の気持ちが。妹も私も、最も命の源に近い状態の赤ん坊を見て、突き上げるような衝動に襲われたのだ。
生まれたばかりの息子を抱きながら、孫の顔が見たいと言ったあのときの妹は、それまで自分だけで完結していた世界から、息子という命の船をこの世に送り出し、その先に続く未来をうっすらと、でも確実に、感じ取っていたのではないかと思う。自分の命が続いていくという手ごたえと、さらに先へと続いていく予感とともに。
生まれたばかりの甥を見て、命が続いていくことを本能的に理解した私であったが、子供を生んでいないからか、この先へと続くはっきりとした実感がない。いつも自分のことできゅうきゅうとして、どこまで行っても自己完結した世界に居る。それに比べ、妹は息子という命の船を出航させるという、偉業を成しえた。その点だけは絶対に、永遠に、敵わない。
妹は、小学2年生の息子を残して逝ってしまった。せめてこの子が20歳になるまでは生きたいと何度も何度も願ったが、それは叶わなかった。
でも命は続く。船を乗り換えて、さらに先へと、いまは漕ぎ出でな。
#信田さよ子 #現代ビジネス