がんになってよかった、ってまっすぐには言えない。最初のときはもう不幸のずんどこに叩き落されて大騒ぎしたし、2回目だってわめきはしなかったけど、内心ずんどこだった。でも、もうすでに私の人生の一部であることは間違いない。2度もがんになって、妹もがんで亡くなって、さすがにもう、これが私の人生と思って受け入れた。
それでも悔しいこといっぱいあったから、それを思い出すといまでも血が凍る。あの悔しさ。悔しくて悔しくて今でもはらわた煮えくりかえる。いまでも離れていった人のことを思い出す。私のなにがいけなかったのか。がんになったこと以外にも理由があったのか。結局、がんの苦しみの半分は人間関係の苦しみだったり、社会と自分の関係性の悩みなのだ。
時は前へ進むように、私も否応なく前へ前へと押し出されていく。だから記憶の可逆性に心が参る。思い出さなきゃいいのだが、よほど悔しかったのか、消化できていない自分に気づかされる。私のそういう心のクセまでも、受け入れる人生レッスン続行中である。